真水稔生の『ソフビ大好き!』


第41回 「やさしい気持ち 〜怪獣映画の見立て〜」  2007.6

僕がいちばん好きなゴジラ映画は、
昭和44年公開の『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』なのだけど、
人前で(特に年上の人の前で)これを話すと、決まって嘲笑される。

  「怪獣映画に夢オチは無いだろう。
       あんな駄作のどこがいいンだ?」

とか、

  「お前、本当にゴジラが好きなのか?
            幼稚っぽいにも程があるゾ」

とか、
ひどい言われ様である。
中には、

  「あれは番外編であり、ゴジラシリーズにカウントしない」

などと、
作品の存在そのものを否定してくる人もいるのだ。
むごい。むご過ぎる。

まぁ、確かに、
特撮シーンは過去の作品からの流用シーンも多く、
明らかに低予算で無理矢理作られた感は否めないし、
メルヘンタッチな内容が、
今までのゴジラ映画の世界を期待して映画館に足を運んだ怪獣少年たちの気持ちを
裏切った事は事実だろう。
でも、
当時僕は5歳で、
そんな淋しい評価をされる作品だなんて夢にも思わず、心の底から楽しんで映画を観ていた。
だから、大人になって見直しても、
当時のワクワクドキドキする感覚が甦ってくるだけで、
それまでの作品との世界観の違いに嘆くなんて事もないのである。

以前、第8回「ゴジラ人形のこと」でも述べたが、
僕らの世代は、
どんなゴジラ映画でも素直に楽しめちゃう世代なのだ。

世代の違いや好みの違いは、
理屈をこねてどうこうなるものではないのだが、
大好きな映画をケナされて黙ってるわけにはいかないので、この場を借りて少し反論させてもらう事にする。


まず、あの映画を“夢オチ”などと言ってほしくない。
怪獣が出てくるシーンは、すべて、主人公の男の子の夢の中の世界ではあるが、
それがオチにはなっていない。夢でオチたりなどしていない。
そんな内容ではないのだ。

気が弱くひっこみ思案の主人公の男の子が、
強盗の免許証を拾ってしまったために命を狙われる事になり、
絶体絶命の危機に追いつめられるのだが、
夢で見た、弱くても逃げずにガバラに立ち向かったミニラの姿を思い出し、
勇気を振り絞って強盗に立ち向かうのである。
最後は警察がかけつけ、事件は一件落着となり、
この経験によって主人公の男の子は、
はっきりと自分の意見が言える明るい性格になり、たくましく成長していく。
そういうお話なのだ。

どうひねくれた見方をしても、夢オチなどにはなっていない。
自分の期待通りの映画ではなかったからといって、
作品の内容を把握しないで批評するなんて、実に軽率で無礼な行為である。

それに、
怪獣の格闘シーンは主人公の男の子の夢なのだから、
過去の作品からの流用、であっても何ら問題は無い。むしろ自然だ。
主人公の男の子がいる世界は
映画を観ている僕らの世界と同じなのだから、
いつか観た怪獣映画のワンシーンが夢に出てくるなんて、
ごくごく当たり前の出来事だからである。

あるいはそのイメージを拡大させる事もあるだろう。
怪獣であるミニラが人間の言葉をしゃべったり、
等身大になったり巨大化したりする事も、当然 “有り” である。
たとえば、
『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』の、
前田美波里さん演じるサエコとミニラの交流を
映画館で観た子供が
眠りの中で、自分がミニラと会話するような夢を見るのは
何の不思議もない事であり、むしろ普通で健全な発想と言える。
実にリアリティのある話なのだ。

怪獣が好きで好きでたまらない当時の子供の日常が、
ごくごく自然に、それでいてドラマティックに、実に巧みに描かれた映画なのである。

監督は本多猪四郎さん。
今更紹介するまでもないが、
昭和29年にいちばん最初の『ゴジラ』を撮って以来、
ゴジラシリーズをはじめとする数々の特撮映画の監督を務められた方である。

 『ゴジラ・ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』は、
 本多さんの作品を語る上で絶対外せない1本である、

と僕は自信を持って主張したい。


元々、本多さんの出世作となる昭和29年の『ゴジラ』は、
『暁の大脱走』や三船敏郎さんのデビュー作である『銀嶺の果て』などで知られる谷口千吉監督が
それを断った事により、
本多さんに監督する機会が回ってきた作品である。

9年にもおよぶ軍隊生活の為デビューも遅かったし、
自分の道を切り開くため何でも撮らざるを得ない状態の本多なら断るはずがない、
そう見込んだ会社が、
本多さんに割り当てた“仕事”なのである。

監督を引き受けたからといって
スタッフすら選ばせてもらえない立場だった当時の本多さんにとって、
自分の色を出してこだわりの映像をつくろう、とか、
水爆実験のため生まれた怪獣のお話だから反戦思想を前面に出そう、とか、
そんな思い入れのようなものを込めて仕上げるものでは、決してなかったと思う。

以前から大ダコを主役にした怪獣物を構想していた円谷英二監督とは違い、
本多さんのあたためていたものは、
往年のブルーバード映画のような作品であったそうである。
つまり、
青春の輝きや純情、乙女心といったものを美しいロケーションで柔らかく描く、
といった爽やかなロマンスものを撮りたいと考えていたのだ。

そんな本多さんが『ゴジラ』に立ち向かった時の気持ちは、
手法や表現を誤れば
とんでもない作品を生み出してしまう事になりかねない、
この得体の知れない神秘な企画を、どうやってまともな作品に仕上げるか、
只々それしかなかったと思う。

ゴジラという怪獣をどういう形にしたらいいか、
そんなところから始めなければならなかった時代なのだから、
今では想像し難い、とてつもなく大変な作業が山積みのプロジェクトだったと思うが、
本多さんの、
どんな作品でも監督する以上は手抜きはしない、という信条と、
円谷英二という人物を、その技術と精神を、心から尊敬し信頼していた気持ちが、
誰にも真似出来ない素晴らしい映像を生み出す事になる。

特撮担当の円谷さんの意図を注意深く汲み取り、
特撮部分に丁寧に対応した本編づくりを心がけた事によって、
本編と特撮がしっかりと結びつき、
見る者を強く惹きつける映像を作る事に成功したのである。

SF研究家である大伴昌司さん(僕らの世代には怪獣の解剖図でお馴染み)曰く、

  「ゴジラが現れるまでの不安な状態や、
        異常なパニックの描写が優れ、
          特撮シーンと本編の調子が分裂せずに融和している」

という、大傑作な日本映画が誕生したのだ。

生々しさを避けて虚構的に撮るのが、本多さんの演出法だと言われているが、
『ゴジラ』を見る限り、
僕はそういったイメージを持つ事は出来ない。
虚構的ではなく、むしろ正反対の叙事的なタッチで、淡々と流れるように撮ってる印象なのである。

おそらく、
割り当てられた仕事に強い責任感で取り組み、
尊敬する円谷さんに思う存分仕事してもらう事に徹した姿勢が生み出したものだろう。
そして、この事は、
音楽を担当した伊福部昭さんの仕事にも、大きな影響をもたらしている。

ラジオでやっていた伊福部昭特集を聴いて知ったのだが、
伊福部さんは、
『ゴジラ』の音楽を手がける事になった時、
「そんなゲテモノを・・・」と反対する家族や親戚の声に、断固として耳を貸さなかったそうである。
大怪獣にどんな音がつけられるか、という音楽家としての興味もさることながら、
戦時科学研究員として林業試験場に勤務していた経験から、
反核を訴える気持ちが強かったため、
これは自分がすべき仕事だと強く思ったそうである。

反戦思想をふりかざすつもりなど毛頭無かった本多さんとは
大きく異なるものだが、
この、
 “思いとメッセージを込めて、自分の色を濃厚に出したい”
という
創造者としての意気込みは、
日本映画において初めて“特撮”が作品の主役となる事を喜び、
『ゴジラ』に強い意欲を燃やしていた円谷さんの熱意と同じで、
本多さんが淡々と描くベーシックな画面と絶妙な一体感で結ばれる“相性の良さ”を、
持ち合わせていたのである。

伊福部さんは、

  「あまりドラマトゥルギーに支配されすぎると、
     音楽はその自律性を失い次第にスポイルされていくが、
        特撮映画には、その危険性が無く、音楽家はのびのびと仕事が出来る」

と生前語っておられたが、
自分のやりたいようにのびのびと出来る、という利点は、
実は、
“特撮映画の特長”ではなくて、
“本多猪四郎が監督する映画の特長”だったのだと思う。

ゴジラシリーズに代表される東宝の特撮映画は、
本多さんの真面目で温厚な人柄によって成り立ったものなのだ。

だいたい、
『キングコング対ゴジラ』だって『モスラ対ゴジラ』だって『怪獣総進撃』だって、
第1作目の『ゴジラ』とは設定や世界観がまるで異なるのだから、
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』だけを否定したり無視したりするのは筋の通らぬ話である。

予算やスケジュールなど様々な制約がある中、
一定水準の特撮映画を撮り続けヒットさせてきた本多さんの、
集大成とも終着点とも言えるゴジラ映画が、
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』であり、
本多さんの人格そのものが
作品全体から滲み出たものなのである。

劇中、主人公の男の子が、
天本英世さん演じる隣のオジサンにすき焼きをごちそうしてもらうシーンがあるが、
この映画に不満を持つ人は、
ちょうど、すき焼きを食べて、「肉が少ない」と文句を言ってる人のようである。

誰だって、
すき焼きには肉がたくさん入っていた方が嬉しいに決まっているが、
たとえ肉があまり入ってなくても、
すき焼きが食べられる事を幸せに思い、
そのすき焼きを作ってくれた人への感謝の気持ちを素直に持って、
「ごちそうさまでした」と言うべきである。

肉の量でしかすき焼きを評価出来ない人に、すき焼きの味が本当にわかるとは思えない。
隣のオジサンの財政状況を気遣って
最初は遠慮して肉に手をつけないこの主人公の男の子に
感情移入出来ないようでは、
本多さんが描いてきた特撮映画の “味” など理解出来るわけないのだ。

小津安二郎監督の映画は、
シネスコサイズに逆らって東京タワーを真っ二つに切り取ったが、
『モスラ』は、
シネスコサイズに合わせて東京タワーを半分から折り曲げたわけで、
本多監督が手がけた特撮映画たちは、
その作品自体が本多監督のやさしい人柄を物語るものなのである。

・・・ってのは、ちょっと強引なこじつけだが(笑)、
円谷さんの夢見る力も、
怪獣たちの迫力も、
すべて、
本多さんの放つやさしいオーラに包まれて、
映画を観た人々の心に届いているのは事実である。

『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は
それが極端に表に出てしまっているだけで、
ゴジラ映画の作品世界から逸脱しているものでは、決してない。


僕とたいして年齢が変わらないのに
この作品を否定してる人は、
体裁を気にして子供の頃の夢見る気持ちに素直に向き合えていないのではないか、と
余計なお世話ながら心配してしまう。

子供の頃、
駄菓子屋さんで5円引きブロイマイドを買って、
シーボーズが出ると

 「ちぇっ、またシーボーズか。こんな弱い怪獣要らん!」

なんて言って腹を立ててたくせに、
大人になったら

 「子供の頃から実相寺監督のウルトラマンが好きだった」

などと急に言い出したズルい(笑)特撮ファンと同じで、
僕には気の毒に思えてしまう。


年齢的にちょうど怪獣から卒業する頃にこの作品と出会った人は、
本当にその時ガッカリしたンだと思うけど、
少なくとも僕と同年齢、もしくは年下の人なら、
劇場でこの映画を観た時、胸がときめいたはずである。

過去の作品の流用だって、怪獣が出てくるシーンには無条件に興奮したし、
怪獣島でミニラと友達になれた主人公の男の子の気持ちや
新怪獣ガバラのインパクトは、
夢見て憧れるに充分なパワーを持っていた。

本編の、
夜の廃墟における男の子と強盗の追いかけっこのシーンもスリリングで見応えがあったし、
翌日の、男の子と母親の二人きりでの朝食のシーンに描かれた、
“幸せの中にある切なさ”みたいなものも、はっきりと心に残っている。

ひとつひとつが丁寧に演出されている。
ドキドキワクワクして、楽しくて、実に心地良い作品なのだ。

また、円谷さんが
病気療養中(この映画の公開直後に惜しくも亡くなられた)だった事もあり、
この作品では特撮シーンにも本多さんは深く携わった。

低予算、特撮の神様不在、という悪条件の中、
見事なまでにまとまりのある作品を作り上げた手腕は、疑う余地無く尊敬に値する。
駄作だなんて、とんでもない。
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は、名作中の名作である。


 ガバラ
 クリスマスの夜だったと思うが、
 父親が買ってきてくれたガバラ人形を
 大喜びで袋から出した時、
 ペパーミントグリーンのボディが
 蛍光灯の光を反射して、
 まるで宝石のように
 キラキラと輝いたのを憶えている。
 なかなか袋入り新品と出逢えないので、
 あの時の輝きと再会する機会には恵まれないが、
 たとえ中古の人形でも、ジッと見つめれば、
 思い出が、あの時以上の輝きで胸によみがえる。
             ★
 猫の怪獣だとずっと思ってたが、
 核実験の影響で
 ガマガエルが突然変異した怪獣、との事。
 男の子の夢に出てきただけの存在なのに、
 この設定には何の意味があるのだろう?(笑)


 ミニラ
 この人形のブサイクな顔を見てると、
  “怪獣好き”が“ゲテモノ好き”と呼ばれても、
 反論出来ない気がする(笑)。
       ★
 当時、映画を観た帰りに、
 映画の心地良い余韻と赤い色に惑わされ、
 母親におねだりして買ってもらったが、
 いざ家に帰ってこれで遊んでみると、
 ゴジラやガバラと
 サイズが同じなのが気に入らず、
 結局、
 すでに持っていた、
 ちゃんとゴジラよりも小さく作られている
 マルサンのミニラ人形で遊んでいた記憶がある。
 おねだりして買ってもらったのに
 全然それで遊んでいない事に
 後ろめたさを感じていた、思い出の人形。


               ガバラもミニラも、僕が子供の時に持っていたものは、
               上の2体と同じもので、
               島田トーイ製(足の裏に小さなひよこのマークが入っている)。
               後になって、ブルマァクが島田トーイと手を組み、
               同じ人形でブルマァクの刻印入りのものも発売された。

                なぜ、ブルマァクが島田トーイと手を組んだか、というと、
                ミニラとガバラを同じサイズで人形化してしまう無神経さが、
                ブルマァクの“なんでもいいからやってしまえ”気質と、
                見事に一致したからである。
                ・・・と、僕は勝手に推測しています(笑)。




数年前に発売された『少年探偵団』のLD−BOXに、
怪人二十面相を演じた団時朗さんとBD7の小林少年を演じた黒沢浩さんの対談が
特典映像として収録されていたが、
その中で、
団さんが、『少年探偵団』を

 「作り手の体温が感じられる作品だ」

と評しておられた。
僕は
あの言葉に、怪獣が大好き、という自分自身の性質の種明かしをされた気がして、ハッとした。

僕が子供の頃から愛し続けてやまない昭和の日本の特撮作品は、
映画もテレビ番組も全て、
やさしく温かいものなのだ。
本多さんの『ゴジラ』から始まった歴史の上に存在する作品群だからである。

その主役は、
怪奇ではあるが、
アメリカのモンスターのような冷酷なものではなく、
どこか哀しく、どこか可笑しい、そしてどこか温かい、着ぐるみ怪獣たち。
ソフビ怪獣人形はその分身みたいなもの。
だから好きなのだ。だから惹かれるのだ。
だからその世界に夢を見るのだ。

静かで穏やかで、
気分が安らぐような環境が、
怪獣の世界の根底には広がっている。
僕と同世代じゃない人にはちょっと理解しづらいかもしれないが、
怪獣映画や特撮ヒーロー番組を見る度に、
あぁ、やさしい気持ちでずっと暮らしていきたいなぁ、
としみじみ思うのである。
例えるなら、
午後のテラスでウトウトしている時のような心地良さだ。

吼えて暴れる怪獣の映像からそんな優美さを感じるなんて、
なんだか不思議な気がするけど、
それこそが、怪獣が夢の生き物である所以。

怪獣は、
怪獣映画は、
“やさしい気持ち”に根を張っているものなのである。

大自然の美しい風景が宇宙によって支えられているように、
怪獣映画は、やさしさによって支えられているのだ。

目には見えないものだけど、
僕はそれをはっきりと感じ取る事が出来る。
本多猪四郎という映画監督が、幼い心に植えつけ染み入らせた感受性であろう。

少年時代を昭和40年代から50年代初めの日本で過ごす事が出来た事を、僕は心から幸福に思う。
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』は、
僕の人格の、
土台を築いた映画なのかもしれない。




参考文献
 
 ・『東宝特撮映画全史』 東宝出版事業室

 ・『グッドモーニング、ゴジラ〜監督本多猪四郎と撮影所の時代〜』 樋口尚文・著 筑摩書房

 ・『円谷英二の映像世界』 実業之日本社



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