真水稔生の『ソフビ大好き!』


第96回 「愛しき異形の者たち 〜変身ブームの実情〜」  2012.1

これまで幾度となく述べてきたように、
昭和46年に巻き起こった怪獣や特撮ヒーローのブーム、
いわゆる第2次怪獣ブームは、
別名で “変身ブーム” とも呼ばれている。

主人公が「変身!」と叫んでポーズを決める『仮面ライダー』が大流行し、
類似する特撮ヒーロー番組が続々と誕生していった為そう名付けられたのだろうが、
僕の感覚では、
当時を子供として生きていた者として、
実は、今ひとつ、しっくりくるネーミングではない。
所詮、
第三者である大人たちが自分たちの解釈の都合で付けた、便宜上の呼称だと思うからである。

確かに、
『仮面ライダー』の盛り上がりは凄まじく、
一文字隼人や本郷猛の変身ポーズを、僕らはこぞって真似をしたし、
様々な社会現象を生み出す事にもなった。
あの頃 “流行語大賞” なるものがあれば、間違いなく「変身」が受賞したであろう。
だけど、
僕らのときめきは、そこにあったわけではない。
“変身” という行為そのものに、なにも特別胸を躍らせたわけではないのだ。

当時の大人の中には、
ブームの要因を「子供たちの変身願望である」などと
安易に結論づけていた人もいたようだが、
そんな事ではないと思う。

怪獣映画や特撮ヒーロー番組が僕らを虜にしたいちばんの理由は、
“異形の者” の魅力。
顔や姿が人間とは異なるキャラクターたちに対する驚きが、
幼少期のピュアな感性を激しく刺激したのだ。

変身なんか、
別にしてもしなくても、どっちでもいい。
とにかく、
我々人間が暮らすこの日常に、
異形の者、すなわち、
怪獣とか怪人とか、宇宙人とかロボットとか妖怪とか、
そういった、人間ではない者が現れる架空の世界に、
僕らは夢を見、憧れたのだ。

しかも、
変身ブームの直前にあった、
『柔道一直線』に代表される、いわゆる “スポ根ブーム” の要素を受け継ぎ、
子供番組の異形な主人公たちは、ほとんどが、
悩んだり苦しんだりして努力しながら成長していく、という人間的な一面を持っており、
親近感があって感情移入しやすく、
優しさとか思いやりとか、
あるいは、
悪を憎む気持ちとか悲しみに挫けない心とか、
そういったものの大切さも、多分に感じ取らせてくれた。

つまり、
僕ら子供たちが、
人間にとって最も大事な事や人間が通るべき正しい道を
人間じゃない存在から熱く伝えてもらったのが、
あの時代・あのブームの実情なのである。

異形な主人公は人間の心の美しさを訴え、
異形な悪者は人間の心の醜さを象徴し、
そして、
その異形の者同士の戦いで
主人公(心の美しさ)が悪者(心の醜さ)に勝利する事で、
幼い僕らは、
“人間である証” が何であるか、を胸に深く刻みこんだ。

鍵を握るのは、異形の者。
異形だからこそ “心” が強調され、子供たちに理解しやすく、人気を博したのだ。
“変身”は、
その異形なキャラクターの出現理由・登場手段にしか過ぎず、
魅力の一部ではあっても、
ひとり歩きしてブームの全貌を言い表すようなものでは、決してないのだ。

『仮面ライダー』の原作者である、
漫画家の石森章太郎(のちに石ノ森章太郎に改名)先生は、
『仮面ライダー』の成功を受けて、その後も続々と特撮ヒーローを生み出されたが、
生前、よくインタビューなどで、

 「キャラクターありき」

という言葉をおっしゃっていた。

まずキャラクターのスケッチを描き、
そこからイメージを膨らませて、
細かい設定やストーリー作りに作業を発展させていく、というのが、
石森先生の仕事の進め方であり、
特撮ヒーロー番組の誕生の仕方であったのだ。

キャラクターのデザインが巧く出来たか、その異形の者は魅力的か、が最優先課題。

僕ら視聴者も、
その異形なキャラクターに惹かれなければ、
作品世界に感情移入したり
番組に毎週チャンネルを合わせたりもしないので、
関連グッズやオモチャを欲する事も無ければ、
それこそ変身ポーズを真似て “ごっこ遊び” に夢中になる事も無い。

ブームを牽引したのは、異形の者。
“変身ブーム” などという呼称は本質からズレている、と
いよいよ言わざるを得ない。


それにしても、
特撮ヒーロー番組史における石森先生の功績は、
とてつもなくデカい。
子供の頃は、
ただ喜んで番組を見てただけだけど、
今冷静に考えてみると、
たった5、6年の間に、実に驚異的な量の作品を世に送り出しており、
その凄さに感服してしまう。

“石森章太郎原作” というそれら作品を、思いつくまま挙げてみると、

『仮面ライダー』、『仮面ライダーX3』、
『仮面ライダー]』、『仮面ライダーアマゾン』、『仮面ライダーストロンガー』、
『好き!すき!!魔女先生』、『変身忍者 嵐』、
『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』、
『ロボット刑事』、『イナズマン』、
『がんばれ!!ロボコン』、『秘密戦隊ゴレンジャー』、
『アクマイザー3』、『超神ビビューン』、『宇宙鉄人キョーダイン』、
『ロボット110番』、『快傑ズバット』、『ジャッカー電撃隊』・・・、

と、両手で数える事がアッという間に不可能になる。
しかも、
量だけでなく、
そのどれもが印象に残る味わい深い作品であった事に、改めて感銘を受ける。

異形の者・魅力的なキャラクターによって導き出されたその世界は、
夢だけではなく、
現実をたくましく生きる力さえ、与えてくれた気がする。
素敵な作品の数々だったと思う。

今回は、
そんな石森章太郎原作の特撮ヒーロー番組の中から、
主人公であるヒーローの、
デザインをはじめとするそのユニークなキャラクター性が、
僕ら子供たちを
作品世界へと惹きこんだ顕著な例と言える、
『ロボット刑事』と『イナズマン』について、述べる事にする。

この2作品は、ともに、
ライダーシリーズの頂点、すなわち、
変身ブームの頂点と言える『仮面ライダーX3』と同時期に放送されていた番組で、
個人的に思い入れも強いし、
特撮ヒーロー番組が満ち溢れて、スーパーヒーローの存在が当たり前になりつつあった時期に、
あえて、

 「スーパーヒーローは当たり前じゃない。異質なものである」

と訴えかけるような、
『仮面ライダー』を生み出した石森先生ならではの、
毒気すら感じる濃厚なコンセプトを持っていて、
変身ブームを語る上でも、石森作品を語る上でも、外せないものであるとも思うので。


まずは、
『ロボット刑事』から。

多発する科学犯罪に対処するため、
警視庁は特別科学捜査室を設立し、そこに、
1体の、いや1人のロボットを、刑事として配属させた。
そのロボットが、この作品の主人公・Kである。

ロボット刑事Kは、
高品格さん演じる、頑固者のベテラン刑事・芝や
千葉治郎さん演じる、若手刑事・新條とともに、
悪と闘い、様々な怪事件を解決していく。

  ・・・あぁ、こんな事を書いてると、
  あの超カッコいい主題歌が頭ン中に流れてきて、
  なんかワクワクしてくる。

  ♪叫ぶサイレン〜 ライトは回るぅ〜

・・・歌わなくていいですね。失礼しました(笑)。 
   

で、
この作品のいちばんの特徴は、主人公が変身しない事。
Kは、
ロボットでありながら、いつか人間に生まれ変わりたいと願っており、
通常は人間と同じように服を着ていて、
戦闘時に、
それを脱ぎ捨てて敵に挑む。

普段は人間の姿をしている事が特撮ヒーローの常識であったあの頃、
“変身しない主人公”、というのは斬新だったし、
安易に『仮面ライダー』の真似をしていない、という作品の高尚さも感じた。

それに、何より、
赤いブレザーを着た人型ロボットは子供心にとてもカッコよく思えたし、
普段は黄色の目が、
悲しい時には青に、闘う時(怒った時)には赤に、
それぞれ変色するという、
ロボットでありながら “心” を持つ、というところが良かった。
Kの純粋で優しい性格に、強く惹かれた。

物語も、いきなり気に入った。
叩き上げの刑事である芝は、
長年、己の足と勘で様々な事件を解決してきた誇りと自信から、
科学捜査というものを信用せず、
最初は、
Kを “鉄くず” 呼ばわりして忌み嫌うのだが、
それがいずれ信頼へと変わっていくであろう事は、
芝の娘たちが最初からKに好意的な態度を取る様子からも容易に想像出来たし、
そんな、ロボットと人間の心の交流が、
悪との闘いのドラマの中、今後描かれていくのかと思ったら、
これは毎週絶対に見逃せないぞ、と
第1話から、ものすごく胸がときめいた事を憶えている。

主人公のヒーローが変身しない、という作品としてのオリジナリティ、
感情を持ったロボットとそれを取り巻く人間たち、という良質なドラマの方向性、
この二つの要素は、
まさに、
キャラクターとしてKが魅力的であればこそ価値が高まる、というもの。
第1話から胸がときめいた、という事は、
Kがいかに僕の中でインパクトの強いキャラクターであったかという証でもある。

また、その第1話には、
僕の心を更に奮わす仕掛けも用意されていた。
千葉真一さんのゲスト出演である。

千葉真一さんと言えば、
当時、人気番組『キイハンター』で
華麗なアクションを魅せて、僕に限らず全ての男の子の憧れの的だった人。
そんなスター俳優が登場した事で、
『ロボット刑事』という子供番組に箔が付いて、
“石森プロ” というブランドが子供心に持たせていた安心感みたいなものが
よりいっそう強まった気がした。
この番組は凄い! ・・・そう思った。

千葉真一さんは、
新條刑事を演じる千葉治郎さんの実兄である事から
ゲスト出演する事になったのだと思うが、
『仮面ライダー』で本郷猛や一文字隼人の相棒として大活躍する、
FBI特命捜査官・滝和也を演じていた俳優・千葉治郎が
千葉真一の弟である、
という事実は、
僕ら当時の子供たちはみんな知っていたので、
『ロボット刑事』でのこの兄弟共演は、言わば視聴者サービスでもあったと思われる。

それに、
千葉真一さんが演じる人物が
物語上でも新條刑事の兄という設定は、実に気の利いたものだったし、
元刑事で現在は弁護士、という役柄や
殺人現場であるマンションの一室に
窓からロープをつたわって出入りする所作は、
当時の千葉真一さんにピッタリなカッコよさであり、
ほんのワンシーンではあったものの、シビレるようなインパクトを与えてくれたのだ。
また、
続く第2話にも登場した事で、
第1話きりのイベント的なイレギュラー感を持つ事なく、物語のリアリティーも保っていた。

ただでさえ作品世界に惹かれていたのに、
アクションスター・千葉真一も登場した事で、
僕は『ロボット刑事』を
他のヒーロー番組とは格の違う高水準な作品として捉えたのである。

以降、僕はどんどん番組に魅了されていった。
毎週毎週すごく楽しみで、
放送日は朝からずっと『ロボット刑事』の事を考えていた記憶がある。

余談だが、
僕は “地獄耳” という言葉の意味を、
登場人物の一人であった、タレコミ屋の “地獄耳平” によって憶えた。
それほど印象的な脇役でもなかったように思うが、
“地獄” という部分に子供心が反応したのと、
やはり、
お気に入りの番組だったからだろう、
脳がいろんな事を吸収しようと、集中した状態になっていたのだと思う。
それくらい好きな、
そしてそれに値するだけの、素敵な番組であった。


科学犯罪を解決する、
勇壮な刑事ドラマであると同時に、
味のある人間ドラマでもあったこの作品のテーマは、
“人間” の再発見。

番組プロデューサーであった平山亨さんは、
現実的な人間社会の調和を、
“ロボットの刑事” という特殊な存在で乱した上で、
その “ロボットの刑事”、つまり人間ではない存在を、人間以上に人間らしく描いて、
人間の “心” に視聴者の目を向けさせよう、とした。

子供番組として、
気高くて意義のある、素晴らしいコンセプトだったと思う。

第何話だったか、
たとえば、こんなシーンがあった。
或る少年がおやつを食べていて、それを眺めていたKに少年が言う。

 「Kさんは食べられなくて可哀想だね」

Kはこう答える。

 「キミが楽しそうに食べてるところを見ているだけで、僕は幸せなンだよ」

セリフは正確ではないかもしれないが、こんなやりとりだった。
僕はそれを見ていて、
Kがますます好きになったのと同時に、
こういうのが立派な大人なんだ、
こういう人間にならなくちゃいけないんだ、
と思った。

番組が放つメッセージを理屈で理解したのは当然大人になってからだったけど、
高潔で優しい心を持つロボットであるKに憧れ、感情移入していた以上、
平山さんが作品に込めた思いは、
そうやって当時からちゃんと受け止める事が出来ていたと思う。

Kというキャラクターに、やはりそれだけのポテンシャルがあったのだ。

石森先生がデザインしたKのマスクには、
どこか哀愁が漂い、それでいて温かみもあって、
ただ強い事だけが正義のヒーローの条件でなはい、という事が理屈抜きで感じ取れたし、
巨大ロボット要塞・マザー(中にはKの製作者・霧島サオリがいる)が
海の彼方に出現する映像は、
Kを精神的に支えるものが “愛あるまなざし” である事を美しく表現していた。

そんな、
視覚による説得力と好印象が、
主人公のヒーロー・Kをより感情移入しやすいキャラクターにし、
また、そうやってKに感情移入すればするほど、
作品のテーマが幼い心にも無理なく自然に浸透していく、という効果を生みだしていたのである。

そして、今思えば、
犯罪組織バドーが送り込んでくる敵ロボットたちの個性も、
Kへの感情移入をスムーズにさせてくれるものだった。

椅子に手足が生えたような姿のコシカケマンや
ロッカーに手足が生えたような姿のロッカーマンなど、
なんだかヘンテコなヤツばかりだったけど、
失笑したりガッカリしたり、という事は無く、
むしろ、
その恐くもカッコよくもない奇妙な違和感こそが、
機械の冷たさの象徴のように映り、
温かい心を持つKとは対照的な、
“悪い人間に使われる道具としてのロボット” という存在である事が
無理なく強調されていたように思う。
単に、
低年齢層向けに
わかりやすくしただけの造形やネーミングだったかもしれないが、
そこには、
Kがいかに親しみやすくて優れたロボットであるかをアピールする効果が、
自然と働いていたのだ。

人間に生まれ変わりたい、と
Kは願う。
ロボットである自分よりも腕力も視力も聴力も、全てが劣る人間に。
そして、自分の体が肌色ではなく金属の色である事を、独り哀しんだりする。

なぜか。

Kは知っていたのだ。
どんな科学の能力よりも、人間の “命” や “心” が尊い事を。

物語や敵キャラの個性にもアシストされながら、
Kは、その異形な容姿で、
愛や哀しみ、そして人間の価値を、
僕ら子供たちに、解りやすく説いてくれていたのである。

そんな、
スマートにカッコよく戦う事よりも
ピュアな心の気高さを謳う事によって成立する主人公であったため、
特撮アクションヒーローとしては若干地味な印象がつきまとうが、
Kは、いつまでも心に残るキャラクターであり、立派なヒーローだった。
僕に限らず、
当時の視聴者で『ロボット刑事』を否定したり軽視したりする人は、おそらくいないと思う。
僕らは、Kの事が大好きだったのだ。


     
 バンダイ製、
 全長約27センチ。

 
 ポピー製、
 全長約14センチ。
   
      着衣を脱ぎ捨てた戦闘状態で商品化されているのに、
  なぜか、脱着可能な帽子がついていた。
  さすが昭和の玩具(笑)。
  敵に挑む際、Kは真っ先に帽子を脱ぎ捨てるので、
  戦闘状態のKが帽子をかぶっている、なんてシーンは
  劇中、ただの一度も無かったはず。
      なので、
  裸で帽子だけをかぶっている、という、
  こんな変質者みたいな(笑)Kは、
  これら放映当時の人形でしか見られません。貴重です(笑)。 
     

  Kは、終盤、武装強化の改造を受ける。
  真っ赤なボディに生まれ変わったKは、
  全身から特殊ミサイルを発射する最強戦闘ロボットと化し、
  機械感丸出しの銀色のその目は、
  感情によって変色する事はなく、替わりに、破壊光線が飛び出す仕様となった。
  人間として生きる事を望んでいたKの事だから、
  悪を倒す戦いのためとは言え、そんな改造は、とても哀しかったに違いない。
      赤い方の人形は、
その武装強化した改造後のKとして遊ぶ事が出来るが、
単なる色の反転でたまたま赤い体になっているだけなので、
当然、目は銀色になっていない。
でも、
武装強化後に哀しい青い目、とは
奥が深いなぁ(笑)。


      ポピー製、
全長約10センチ。

この人形の帽子は、頭部と一体成形なため脱着不可能。
しかも、
改造後の赤いボディに、
目はそんな色になった事がない緑。
チープなミニサイズ人形ならではの無責任な仕様が、
なんとも昭和で心が和む(笑)。


      バンダイ製 変身ヒーローシリーズ、
全長約16センチ。

これは平成に入ってから発売された商品。
当然、帽子はついていません(笑)。


      以前、第46回「いかにも名古屋」の中でも紹介した、
海賊版(いわゆるパチモン)人形。
全長約15センチ。

スーツ姿での人形化が、個人的にはとても嬉しい。
 
               
              街中を疾走してきたジョーカー(Kが運転するパトカー)が
タイヤを鳴らしてして止まり、
ドアが開いて
このスーツ姿のKが現れたところで静止画像になって
主題歌のイントロ、
という、
シビれるカッコよさのオープニングを思い出す。

あの主題歌、
本当にカッコよかった。大好き。

 ♪ロボット〜 その名は〜

だから歌わなくていいですよね。たびたびスミマセン(笑)。


        当時、『冒険王』などの児童雑誌に
特写スチールとして載っていた、
ロボット刑事K、
仮面ライダーX3、
キカイダー01、
夢の共演をソフビ人形で再現。

あぁ、興奮が甦るっ!


       
Kの事がずっと忘れられず、
番組終了の翌年に買い揃えた、
原作漫画の単行本。

番組宣伝用に石森先生が描いて、
放映中(放映前からだったかな?)に
『週刊少年ジャンプ』に
連載されていたものだったと思う。

作品のテーマやオリジナリティが、
番組以上に色濃く描かれているので、
いまだに処分せず大切に所有しているし、
時々読み返したりもしています。
 



続いて、『イナズマン』。

地味だったK(真っ赤なブレザー着たロボットが地味、って変だけど(笑))が
主人公だった『ロボット刑事』とは対照的に、
こちらは、
ド派手なスーパーヒーローであるイナズマンが主人公の作品。

なんたって、
蝶をモチーフにしたイナズマンのデザインはもちろん、
超能力のイメージを
稲妻とダブらせて表現したインパクトは、
当時の男の子たちには無条件にカッコいいものだったと思う。

また、
ライジンゴー(イナズマンの愛用車)の存在も大きい。
大人の目から見たら、
現実性が皆無なオモチャオモチャしたデザインだったろうが、
あの巨大なワニのような車は、
僕らにとっては、まさに夢の乗り物だった。
もしも、僕がもう少し生まれるのが遅く、
ソフビ世代ではなく超合金世代であったら、
オモチャのコレクションを始めてまず手に入れたいと思うのは、
ポピニカのライジンゴーだったかもしれない。
魅力的なマシンだった。
 

そして、
そのド派手な車に乗るド派手なヒーローの華やかさを、
更に際立たせていたものが二つ。

まずその一つは、サナギマンの存在。
イナズマンは、
伴直弥(現在は、伴大介)さん演じる、ミュータントの素質をもった渡五郎という人物が
その能力を使って変身するのだが、
いきなりイナズマンになる事は出来ない。
一度、サナギマンに変身して、エネルギーを充填しなければならないのである。

これは実にユニークな設定であったが、
蝶であるイナズマンに対して、まさにサナギがモチーフとなった、
およそヒーローらしからぬ、生理的嫌悪さえ覚えそうな不気味で気色悪い容姿、
そして、
イナズマンに変身可能になるまで
ひたすら敵からの攻撃に耐えるその地味な姿が、イナズマンの登場に爆発的な破壊力をもたらせていた。

サナギマンの形態を経る事で、
イナズマンのキャラクター性は、よりショッキングなものに感じられたのである。
実に効果的だったと思う。

そしてもう一つは、敵の怪人の造形。
これも、
イナズマンを輝かせるのに極めつけの効果を発揮していた。

世界征服を企むファントム軍団の怪人たちは、
ロボットにミュータントの脳や器官を装着したサイボーグであり、
機械的な要素に加え超能力も備えていて恐かったうえ、
妖怪のようにおぞましい容姿をしていたので、
それがイナズマンの輝きと対峙すると、
まさに陰と陽で、
悪者と正義のヒーローの相対する図が明確に映像化される事となった。

フランケンシュタインみたいな顔が、
細長い頭部から腹部にかけて縦に五つ並んでいるイツツバンバラとか
卵の殻をやぶったように顔面が割れていて、
中からグチャグチャに潰れた顔がのぞいていたコブバンバラとか、
もう、めちゃくちゃ不気味で、
今、思い出しても鳥肌が立ちそうだし、
たぶん当時は夕食を食べながら見ていたと思うけど、
惨殺された人間の死体ような顔が
カビだらけの全身にいくつもくっついているカビバンバラなんかを見ながら、
よく平気で食事が出来たものだと、我ながら感心してしまう(笑)。

サナギマンと敵の怪人の強烈な陰性イメージによって、
ド派手なヒーロー・イナズマンの陽性は引き立ち、健全なカッコよさにも繋がっていったのだ。

そして更に、
番組は第26話以降、『イナズマンF(フラッシュ)』と改題され、
そのイナズマンのカッコよさは、よりグレードアップされる。
と言っても、
イナズマンの容姿が変わったわけではない。
番組の雰囲気がガラリと変わったのだ。

40年近く昔の記憶なので細かい部分は忘れてしまっているが、
新たな悪の組織・デスパー軍団の登場により、
人間狩りや処刑、といった恐くて暗いシーンが増えて、
お話も、
多くの人間が拉致され暮らしている地底都市が描かれたり、
恋人や家族による裏切りが物語のポイントとなるエピソードが幾度となく展開されるなど、
作品世界がなんだか幽玄的で重厚になり、
まるで大人が見るようなドラマになった印象を受けた事を憶えている。

また、敵の怪人も、
渋くてカッコいいものにリニューアルされ、恐さや強さが生々しくなった。
デスパー怪人たちは、
人気怪人であったウデスパーに代表されるように、
不気味さ全開だったファントム怪人たちよりもデザインがシンプルで、
その分、アクションの切れが良くなった気がして、
“戦闘能力が高い強敵” というイメージを持つ事が出来たのだ。

つまり、
『イナズマンF(フラッシュ)』では、
ドラマの内容や敵の怪人の造形コンセプトを
現実的なものに変更する事によって作品世界の空気を引き締め、
主人公・イナズマンの外見をイジる事なく
元来のド派手なカッコよさを更に際立たせたのだ。

子供の頃は
そんな事考えもしなかったけど、
凄い事だったと思う。

子供番組が視聴率アップを狙って路線変更すると、
多くの場合は、より低年齢層向けな内容になるのだが、
『イナズマン』の場合は、その逆だったのだから、スタッフの意気込みが感じられる。
と同時に、
イナズマンというキャラクターが、
そういうハードな作品世界にも対応可能な、
実にハイクオリティなものだった、という事が言えるだろう。

ただ単に派手だったわけではないのだ。
石森先生のデザインは、やっぱり凄い。


そういえば、
オープニング主題歌を歌っていたのは、
『イナズマン』が子門真人さん、
『イナズマンF(フラッシュ)』がヒデ夕木さん、
で、
エンディング主題歌を歌っていたのが、
どちらも水木一郎さん、
と、
ひとつのヒーロー番組の主題歌で
このビッグ3の歌声や雄叫びが聴ける、という豪華さも
イナズマンの華美な個性にピッタリである。

・・・イナズマンって、本当に派手だ。


      バンダイ製、
全長約25センチ。 


      ポピー製、
全長約15センチ。

向かって右側の人形は、
実物とは異なるカラーリンングながら、
全身から稲妻を放射しているようにも見えてカッコいい。

あ、でも、
そんな攻撃技は無かったか?(笑)


      ポピー製、
全長約13センチ。

このサイズのみ、サナギマンも商品化されている。

「剛力招来!」の掛け声で渡五郎からサナギマンに、
「超力招来!」の掛け声でサナギマンからイナズマンに、
それぞれ変身。
漢字にすると意味が解るけど、
子供の頃は何の事だか知らぬまま、
「ゴーリキ、ショーライッ!」
「チョーリキ、ショーライッ!」
と、叫んで遊んでいた(笑)。


      ポピー製、
全長約11センチ。


      バンダイ製 変身ヒーローシリーズ、
全長約17センチ。

平成ソフビゆえ、
イナズマン独特の肩の造形もきちんと再現。
カッコいい。


      海賊版、
全長約15センチ。

パチモン人形ゆえ体色がデタラメだが、
黄色は稲妻を連想出来る色なので、
イナズマンのイメージは維持されている。
 

  
  古い人形からも新しい人形からも、
  そしてパチモンの人形からも、
  人間の自由と平和を命がけで守るイナズマンのスピリットが、ちゃんと伝わってくる。
  イナズマンのカッコよさは、無敵である。



変身しないロボット刑事Kと2回も変身するイナズマン、
どちらも魅力的である。
僕らは両方を支持した。両方を愛した。両方に胸躍らせて、憧れた。
最初に述べたとおり、
変身しようがしまいが、あるいは何回変身しようが、
大事なのはそんな事ではないのだ。

物語のクライマックスで描かれる、
異形の者同士の戦いには、
悪に立ち向かう勇気や、苦しみに屈しない精神の尊さが輝く一方、
救いようの無い哀しみにも満ちている。
人間の美しさと醜さが、そこには秘められているのだ。
だからこそ僕らは興奮し、幼い胸を大いに揺さぶられたのである。

その感覚は、
約40年経った今でも薄れる事無く残っている。
魅力的なキャラクターたちのおかげで、
作品が発していたメッセージが、大人になった今でもちゃんと心に根付いているのだ。
幸せな事である。

『仮面ライダー』の人気の理由を
“子供たちの変身願望” などとテキトーに読み解いていた当時の大人ならまだしも、
現在の大人の中にも、
子供番組を端から相手にせず馬鹿にする人がいるが、
僕はそういう人と出会うと、
 
 あぁ、子供の頃、ろくな番組を観てこなかったンだなぁ・・・、

と、なんだか可哀想な気持ちになり、
『仮面ライダー』はもちろん、
『ロボット刑事』や『イナズマン』など、素敵な特撮ヒーロー番組があった自分の少年時代に
改めて感謝してしまう。

                                                                                 
                                                   
                   


正しい者が勝つ、という結末は、現実とは異なる場合もある。
大人になる過程で、それは何度も思い知らされる事。
だけど、
けれどそれでも、
正しい者が最後は勝つと信じている。信じたいと思っている。

柄にも無い事を、と鼻で笑われそうだが、
本当にそう思っている。

なぜなら、
石森ヒーローで育った僕らは、
人間にとって最も大切な事や人間が通るべき正しい道を熱く伝えてくれた異形の者たちを、
深く愛しているから。
“変身願望” なんかじゃない変身ブームの実情を、
身をもって理解しているから。


少年時代に出逢った異形の者たちが、ずっと心に生きている。


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