真水稔生の『ソフビ大好き!』


第67回 「愛と美の法則」  2009.8

僕がこの世の中で最も尊敬している人物である美輪明宏さんが
“丸山明宏” の名で活動していた頃に
自ら作詞作曲をして歌った、『ヨイトマケの唄』というヒット曲があります。

ヨイトマケとは、
建築現場などで地固めをする際、大勢により重い槌を滑車で上げ下ろしする作業の事。
あるいは、その作業を行う人の事。
建設機械がまだ普及していなかった時代の言葉です。

この『ヨイトマケの唄』、
今から40年以上昔の曲ではありますが、
最近では、
米良美一さんや桑田佳祐さん、あるいは、新結成したザ・フォーク・クルセダーズなど、
色んな方々が歌っていらっしゃるので、
若い人でもおそらく聴いた事があるでしょう。

戦後の復興期の貧しかった少年が一人前の大人になり、
高度成長期にエンジニアとして働く中、
亡き母親の事を回顧する心情を歌ったものなのですが、
この曲の凄いところは、
誰が歌っているものを聴いても泣けるところ。
美輪さん御本人や
カバーなさっている、先に述べたような歌手の方々による歌唱でなくても、
たとえばそれが、
歌のヘタクソなその辺のオッサンが歌っているものでも、その歌声は胸に沁みます。
究極の名曲なのです。

今回は、
そんな『ヨイトマケの唄』がいかにして生まれたか、
という所から、話を始めようと思います。



いちばん美しいものは、無償の愛

美輪さんが小学生の時の事です。
同じクラスに、
勉強が出来ず、また、家が貧しく汚らしい身なりをしていたために、
みんなから馬鹿にされ、いじめられていた子がいました。

或る父兄参観日に、
その子の母親が、はっぴ姿に前掛けをして、豆絞りを姉さん被り、という格好で現れます。
ほかの母親たちは皆、
綺麗に着飾り、普段よりお洒落をしてやってきているので、
汚いいじめられっ子の母親という事もあり、侮蔑の視線が集まります。

そんな中、その母親は、
我が子の汚れた顔を自分の袖で拭いてやりながら、
その子が垂らしていた青い鼻水を、なんと口で吸って窓からペッと吐き捨てます。

皆がそれを見て顔をしかめましたが、美輪さんはそこで感銘を受けます。
周りの目など一切気にせず、
我が子のためにそこまでする母性愛の深さに驚き、
ほかの着飾った母親たちにこれが出来るだろうか、と思ったそうなのです。

(もう、その辺が、
 美輪さんの凄いところであり、
 小学生の時からすでに、極めて豊かな感受性を持っていらっしゃった事がうかがえます。)

その母性愛が教室いっぱいに広がった気がして感動した美輪さんは、
級長であった事もあり、その日から、その子がいじめられないように気をつけるようになり、
その子と仲良しになります。

そして、後日、
学校からの帰り道をその子と一緒に歩いていた際、或る建築現場の前を通りかかります。
ヨイトマケです。
作業員たちは、重労働をユーモアで楽しくしようと、

 ♪ 父ちゃんのためなら エンヤコラ

 ♪ 母ちゃんのためなら エンヤコラ

 ♪ 子供のためなら エンヤコラ

と歌いながら、明るく元気に、一生懸命働いていました。
そしてその中に、
その子の母親がいたのです。

男性に混じって泥にまみれ、汗水流して働いていたその母親は、
我が子と美輪さんがそこに立っているのに気づくと、
笑顔で近づいてきて、
我が子に友達が出来た事が嬉しかったのでしょう、腹巻の中から1円玉を取り出して美輪さんに渡します。

美輪さんは、
こんな貧しい人からお金をもらっていいものか、と
戸惑いながらも(笑)それを受け取り、
自分が幼い頃に母親を亡くしていた事もあって、
こんなにもやさしくたくましい母親を持つその子を、とても羨ましく思ったのでした。
そして、
我が子に微笑みかけながら仕事に戻る母親と、
それを誇らしげに見つめるその子を見て、

 たとえ学問や知識が無くても、
 たとえお金が無くて貧しくても、
 こういった、愛情がたっぷりある人たちがこの世の中でいちばん偉いンだ、

と痛感するのです。

その時の思いが、
後に『ヨイトマケの唄』という作品を生み出す事になるわけなのですが、
こうやってそのエピソードを書いているだけで、涙が出そうになります。


僕は子供の頃から美輪さんが好きでした。
あれは、僕が小学5、6年生の頃だったと思いますが、
或るテレビ番組で、

 「どうして美輪さんは女性の服を着ているのですか?」

という司会者の方の質問に、

 「男が女の服を着て、何が悪いの?
  ・・・っていう事を世の中に主張したいからです」

と答えられたのを見て
感嘆したのがきっかけでした。

以前にも述べた事があるように、
僕は子供の頃から赤い色が好きで、赤い色に憧れていました。
なので、
赤いランドセルを背負って学校に行きたくて仕方がなかったのです。
でも、そんな事を言えば、
友達からは嘲笑され、先生からは叱られ、親からは心配されたでしょう。
“男子は黒いランドセル”
って決まっている事をとても不思議に思い、
好きな色の私物を持てない事を、僕はずっと不満に感じていました。

だから、
その時の美輪さんの受け答えには、

 「こんな事を言う大人がいるンだぁ」

と、驚いたのと同時に、とても嬉しく思ったわけです。

それが、

“同性愛者で何が悪い?
 男が女を愛しても、女が男を愛しても、
 男が男を愛しても、女が女を愛しても、
 人間が人間を愛する事に変わりはないではないか”

というメッセージを込めた言動である事は
まだ解らなかったし、
美輪さんがLGBTへの差別や偏見と戦い続けている事すら
まだ知らなかった僕でしたが、
常識など一切気にせず、自分の好みや感性を堂々と語り、
それを推奨しようとする美輪さんを、とてもカッコいい人だと感じたのでした。

それから美輪明宏という芸能人に興味を持つようになり、
その歌を聴き、その芝居を見、
光り輝く才能の素晴らしさに強く惹かれていきました。
また、
美輪さんが人生や愛について語られる言葉ひとつひとつが
その都度心に響き、深く感動するようにもなりました。

世間一般の常識や無理解を屁とも思わぬ、
エネルギッシュでパワフルで、それでいて柔軟で繊細な、
美輪さんの一貫した “愛” のポリシーに触れる度、僕は勇気づけられてきたのです。


精神的にあれほどまで強い力を持った方が、ほかにおられるでしょうか。
世の中の表と裏を知り尽くした豊富な人生経験、
そして、
男性の生理・思考と女性の生理・思考の両方を理解出来る資質を所持していた事も
大きな要因だと思いますが、
美輪さんの強さは、
もはや人間である事を超越し、神様の域に達しているような気さえ、僕はしています。

そんな美輪さんの強さの根底にあるのは、
やはり、『ヨイトマケの唄』を作るきっかけとなった、
“愛情がたっぷりある人がこの世の中でいちばん偉い” という思い、ではないでしょうか。

幼少期において、
無償の愛の尊さを他人の親子から学んだ事により、
美輪さんの中に、
真実を客観的に見抜く能力の基礎が備わったのだと、僕は考えます。
やがてそれは、
人生における様々な苦労によって、
人並み優れたあの強靭な心を作り上げるに至り、確固たる信念を導き出したのでしょう。
だからこそ、
自身のセンスや審美眼にも、あれだけの強い自信が持てるのだと思います。

つまり、
美輪さんの無敵の精神力の源にあるのは、“無償の愛”。
そして、
それがこの世で最も美しいものである事を発信し続ける事が、
美輪さんの “芸能活動” であり、
それは、
僕に限らず多くの人を励まし、潤し、救い、世の中の役に立っています。



いちばん大切なものは、美意識

そして、美輪さんには、
“無償の愛” とともにもうひとつ、
その人格の土台になっているものがあります。
それは、“美意識” です。

美輪さんは、
人生においてそれがいかに必要不可欠で大切なものであるかを、
執拗なまでに、世に訴え続けています。

これも、
美輪さんの子供の頃に、原点があります。

大正ロマン・昭和モダンの香りが漂う昭和初期の長崎で
実家がカフェを営んでいた関係で、
周りに美しく着飾った女給さんたちがたくさんいて、
美輪さんはその人たちを「きれいだなぁ」と思って眺めながら、毎日を過ごされました。
また、
その人たちが読んでいた婦人雑誌・少女雑誌などに描かれた、
竹久夢二さん、高畠華宵さん、蕗谷虹児さん、中原淳一さん、といった叙情画家たちの挿絵も、
美輪さんの心を、優しく上品に刺激し続けました。

そして、
その頃の長崎は、
海外への窓口だった土地柄から、
オランダやロシアや中国といった様々な国の文化が行き交い、美しく融合していたので、
いろんな芸術に触れる事が可能でした。
日本映画やフランス映画などの名作も、近所の劇場で当たり前のように観る事が出来たので、
美輪さんは毎日のようにそこへ通い、大いに影響を受けていったのです。

生活ノイズが無い静かな街でありながら、
風情のある賑わいにあふれた旧き良き時代の長崎は、
目にも耳にも優しく鮮やかで、
多感な時期の美輪さんに、
美しいものが心を安らかに、そして豊かにする事を
多分に実感させてくれる環境だったのです。

『長崎育ち』という美輪さんの曲がありますが、
あれなどを聴くと、
情緒あふれる歌詞と優しいメロディから、
あるいは、それを慈しむように歌う様子から、
美輪さんがどんな精神状態で子供の頃を長崎で過ごされていたかが窺い知れます。

アール・ヌーボーからアール・デコにかけての文化の影響が色濃く残り、
美術も音楽も映画も、全てが爛熟期を迎えていた時代に、
綺麗なもの・美しいものに囲まれて
穏やかに育った美輪さんの美的感覚は、
シャンソン歌手として、俳優として、演出家として、あらゆる芸能活動の根幹となっています。

ただ、
戦争によってその優美な暮らしが奪われたため、
美輪さんの “美” への思いは、超人的な弾性エネルギーを蓄える事となります。

日本の軍国主義化が強まっていく事によって、
大好きだった美しいものたちが次々と排除されていくのを目の当たりにし、
更には原爆も体験した美輪さんは、
“美” と対極にあるものが “戦争” である事を骨に徹して認知した事により、
人間が人間らしく生きていくには
美意識というものが必要不可欠である事を、強く深く、胸に刻み込んだのです。

だからこそ、美輪さんは、
“美” を学び、“美” を愛する事の大切さを、訴え続けてこられているのです。
無償の愛の素晴らしさを人々に伝えていく事とともに、
それを天命と悟ったかのごとく、

 「人は、美しいものにどんどん接して “美意識” を磨くべき」

と、
歌や芝居を通して、
あるいは、講演や書物などにおいて、
命をかけて、魂を込めて、“美意識” の必要性・重要性を主張されています。


以前、或るテレビ番組で、
美輪さんが私物であるアール・デコの柄のグラスを手に取り、

 「楽しくて、ほっこりしてて、ロマンがあって、夢があって、とっても素敵でしょ?」

とおっしゃりながら、
そういった美しいもの・叙情的なものが生活の中に取り入れられていた時代の素晴らしさを
優しい眼差しで語っていらっしゃったのを憶えています。

芸術も身の周りのものも、
全てが “美” を基準に作られ選ばれていた生活こそ、
本当の意味での豊かな暮らしであり、
“美” を排除して機能性や利便性、経済効率だけを追い求めるようになった戦後の日本を、
美輪さんは憂いておられます。
今、日本人に最も必要な事は、
その“本当の意味での豊かな暮らし” を見直す事であり、

 「美意識こそが不況を救う」

とまで、おっしゃっています。


美しいものを学び愛する事が人生に輝きを与える、
“無償の愛” と “美意識” さえあれば、世の中に争いごとは起きない、

という、
美輪さんの、人生における “愛と美の法則” は、
『ヨイトマケの唄』が誕生するきっかけとなったエピソードや、
美しいものに囲まれて育った子供の頃の環境が生み出したものであり、
僕が尊敬する美輪明宏という人物の “主成分” である、と言えるでしょう。



愛と美のソフビ怪獣人形コレクション

ところで、
僕のソフビ怪獣人形のコレクションは、
そんな、美輪さんの唱える “愛と美の法則” にかなったものです。

ソフビ怪獣人形というオモチャのデザイン、造形、カラーリング、といったものは、
美しいアートであり、心を豊かにする素敵なものだし、
それを愛でて集める暮らしは、まさに僕の “美意識” の表れなのであります。

ソフビ怪獣人形のコレクターである事を誇りに思う、
というような事を
以前述べた記憶がありますが、
ソフビに対する自分の思いや行動が “愛と美の法則” と合致している事に気づいた時から、
そう思えるようになったのです。


マニアでもコレクターでもない友人・知人が家に遊びに来て、
コレクションを見て驚いたり興味を持ってくれたりした時、
僕は、マルサンやブルマァクのソフビを手に取り、
美輪さんを真似て、

 「楽しくて、ほっこりしてて、ロマンがあって、夢があって、とっても素敵でしょ?」

と言って、
アンティークソフビの魅力を語っています(笑)。

アール・ヌーボーがマルサンで、
アール・デコがブルマァクで、
ってのは、ちょっと無理矢理かもしれませんが、
僕としては
本当にそんな感覚で捉えていて、
アンティークソフビの素晴らしさについて、
僕の子供の頃の思い出なども添えながら、
相手が退屈したり引いたりしない程度に(笑)、愛情たっぷりに話します。

同じ世代じゃなくても共鳴してくれる人がいたりすると、とても嬉しいし、
僕のコレクションを見てくれた人に、
その根底に流れている、僕の愛情や美意識が少しでも伝われば、
それこそが僕のコレクションの価値なので、とても喜ばしい事なのであります。




   ミクラス
   マルサン製ミドルサイズ。全長約17センチ。

   純真無垢な顔の表情に加え、
   頭部の側面から後ろにかけてなんだか膨張したような造形になっているため、
   非常に愛嬌があり、
   戦闘意欲があまり感じられず、まさに “ほっこり” しています(笑)。
   また、
   下の写真を見ればわかりますが、
   スタンダードサイズの人形ほど体が捻れておらず、
   戦闘ポーズよりも直立した姿の方が似合う事も、
   戦闘意欲が感じられない要因です。
  でも、
  腕の短さ、脚のモールドの奔放さ、
  といったところは、
  スタンダードサイズ同様で、
  マルサン造形のセンスの良さや
  味わい深さを感じます。

  戦う事を放棄し、ほっこりしながらも、
  劇中のミクラスの “怪獣” としての魅力が
  決して失われていないところが素敵です。
 汗水流して働くヨイトマケの母親の姿を
 誇らしげに見ていた、
 美輪さんの同級生の男の子のようにも思えます。



アカネ隊員
マルサン製。全長約23センチ。

『キャプテンウルトラ』に出てきたこの美しい女性隊員は、
それを演じておられた女優・城野ゆきさんの
大人っぽい雰囲気が上品な色気を発して、
当時番組を見ていた少年たちの心を虜にしていたと思いますが、
この人形は、
まさにその “上品な色気” が心地よく漂っていて、とても素敵です。



 優しい瞳、つつしみ深そうな口元、ふっくらとした頬、
 左手のしなやかな指先はもちろん、
 銃を握っている右手ですら、
 その指先からは甘い香りがしてきそうで、
 しとやかな女性を感じさせます。

 実物のアカネ隊員に “似せた” のではなく、
 実物のアカネ隊員を “表現した”、
 旧き良き時代のオモチャの素晴らしさを今に伝える、
 癒しのソフビ人形です。

   廃業した玩具店から出たものを友人が購入したのですが、
   数年間口説き続けたら、
   「マミちゃんならいいよ」と譲ってくれました。
   
   最近知ったのですが、
   その友人は、
   この人形と過ごす最後の夜、
   枕元に置いて、
   そっと添い寝をしたそうです。
   娘を嫁がせるような心境だったのでしょうか・・・。

   店頭に並んでいた当時は
   売れ残ってしまって淋しい思いをしたかもしれませんが、
   後の世で
   二人のオーナーにこんなにも愛されて、
   なんて幸せな人形なのでしょう(笑)。

   まぁ、
   それくらい魅力的な人形であるという事です。


ザラブ星人
ブルマァク製スタンダードサイズ。
全長約24センチ。
   マルサンの風味を払拭し、
   実物の着ぐるみに似せたブルマァク独自の造形を目指しながらも、
   時代の緩さ・甘さといった雰囲気をほのかに残した造形であり、
   ノスタルジックな風情が、
   なんだかとても微笑ましく感じられる人形です。

   現在では、右の写真のように
   実物にそっくりのものが
   バンダイから発売されていますが、
   ここまでリアルじゃないブルマァクのザラブ星人の方が、
   なんだか魅力的に思えてしまいます。
   自分が子供の頃のもの、
   という愛着による贔屓目もありますが、
   やはり昔のソフビには、
   夢や冒険に憧れる少年の心をくすぐる、
   不思議な力が宿っていた気がします。
   それが時を経て、
   理屈じゃない味わい深さみたいなものを、
   そっと醸し出してくれているのではないでしょうか。



 上唇を鼻と解釈したのか、
 下唇にのみ、赤い塗装が施されています。
 ・・・新人の舞妓さんみたい(笑)。


 子供の頃、ウルトラマンごっこをして遊ぶ際、
 怪獣役になった時は、
 僕は決まってこのザラブ星人を演じました。
 にせウルトラマンに化ける宇宙人なので、
 ウルトラマンの真似も出来て、倍楽しめるからです。
 そんな、
 子供の頃の思い入れが強い宇宙人だったので、
 この人形が入手出来た時は、
 思わずこの唇にくちづけしたくなるほど(笑)、
 ひときわ胸が熱くなりました。



    ガリガリベロベロ
    ブルマァク製。全長約19センチ。

    昭和40年代半ばに
    日本テレビ系で放送されていたバラエティ番組『マチャアキ・前武・始まるヨ!』に
    登場した怪獣で、
    向かって左側の怪獣は、
    出演者である堺正章さんの痩せている体型に因んで、マチャアキ怪獣ガリガリ、
    右側の怪獣は、
    同じく出演者である前田武彦さんの達者な弁舌に因んで、マエタケ怪獣ベロベロ、
    と名付けられています。

    この『マチャアキ・前武・始まるヨ!』という番組は、
    子供の頃の記憶が曖昧で、
    『ハッチャキ!!マチャアキ』や『マチャアキのシャカリキ大放送!!』、
    あるいは、
    確か『帰ってきたウルトラマン』を見終わってチャンネルをそのままにしておくと始まった、
    ウルトラ怪獣がいっぱい出てくるバラエティ番組(タイトルは失念)などと
    頭の中でゴチャゴチャになっていまして、
    この2匹の怪獣の事を、僕ははっきりとは記憶していません。
    でも、
    バラエティ番組にまでこんな魅力的なオリジナル怪獣が登場していたなんて、
    怪獣ブームが勢い盛んだった当時を語るにはうってつけの存在ですし、
    2体とも、ブルマァクソフビ中でも突出した完成度の高さを誇る人形ですので、
    この機会に紹介させていただきます。


 ほとんど骨だけの、
 その名の通りガリガリの怪獣ですので、
 “ほっこり” ではなくて “ほっそり” してますが(笑)、
 ソフビの造形技術力コンテストみたいなのが
 当時もしあったら、
 ブルマァクはこの人形で出場したのでは・・・、
 と思うくらい、よく出来ています。
 くちばし、頭、首、脚、翼、尻尾・・・、
 どこを見ても丁寧に作り込まれていて、
 惚れ惚れしてしまいます。

 ・・・カラーリングも渋くてイカしてます。


 このお腹の貫禄は、
 “ほっこり” ではなくて “ぼってり” って感じですが(笑)、
 自分が怪獣である事を楽しんでいるような、
 「どうだ、これでもか!」
 という人形の心の声が聞こえてきそうで、
 実に愉快な人形です。
 夢がいっぱいで、痛快で、見ていると心が和みます。

 また、
 二枚の舌と牙が一体成形で、
 腕や脚と同様に
 ボディとは別パーツになっているところもユニークです。




 ・・・それにしても凄い舌だなぁ。





ソフビの美しさ、僕の愛情の深さ、
少しは伝わりましたでしょうか?

 「だから何だ?」
と言われても困りますが(笑)、
自分独りだけでソフビを楽しむのではなく、
同じ趣味・嗜好を持つ人と共感し合ったり、
興味や知識が無い人に
少しでもその良さを伝える事が出来たりしたら、
人生かけて集めてきた甲斐もあるかなぁ、
と思う今日この頃なのです。



愛と美の演劇

再び美輪さんの話に戻りますが、
美輪さんは『ヨイトマケの唄』がヒットした直後に、
寺山修二さんに誘われ、アングラ劇団・天井桟敷に参加されるのですが、
当時、周りの友人たちからは反対されたそうです。

“神武以来の美少年” として一世を風靡したものの、
奇抜なファッションに批判的な声も多かった事や
同性愛者である事などから、
世間からゲテモノ扱いもされていたので、
それが『ヨイトマケの唄』のヒットで一変して、
せっかく世間からまともに扱ってもらえるようになったのに、
アングラなんかやったら、
また元のイメージに戻ってしまう・・・という理由からです。

でも、
“常識” ではなく “真理” を規範に生きる美輪さんが
そんな言葉に耳など貸すはずがありません。
決然とその世界に挑み、
芝居を大ヒットさせた事はもちろんの事、
現代女形というものを確立させ、
またしても、時代に風穴を開けてムーヴメントを起こしました。

つくづく凄い人だなぁ、と思います。

そんな美輪さんへのリスペクトを胸に、
昨年の今頃、僕は
ここ名古屋で25年の歴史を誇るアングラ劇団の芝居に参加しました。

劇団pH−7 創立25周年記念公演『2008 夢見る力』。
ゴーギャンをモデルにして書かれたサマセット・モームの小説『月と六ペンス』を基に、
絵を描くためにタヒチへ移住しようとする男の、夢と現実を描いた作品でした。
下が、その公演時の写真です。






自分が関わったのに何ですが、
実に完成度の高い芝居で、
毎日、立ち見のお客さんが発生する大盛況の舞台でした。
共演した女優さんが、
「芝居はこの世で最高の快楽よ」
とおっしゃっていましたが、
稽古や本番を通して、僕もそれを実感出来ました。

ちなみに、髪の色は、
美輪さんに憧れ、美輪さんを意識したものである事は言うまでもありません。
美輪さんには、

 「外見や上っ面だけ真似してもダメなのよ」

って叱られそうですが・・・(笑)。



幸せな人生を送るため

ソフビ怪獣人形のコレクションも、演劇も、
“愛と美の法則” に当てはまるものなので、
世間からどう見られようが、周りから何を言われようが、
そして、たとえ貧しくても、
僕はそれを楽しく充実した気持ちで続けられるのです。
実に幸せな事です。


そういえば、
今からもう10年以上前の話ですが、
新聞の広告で美輪さんのディナーショーがある事を知り、
一緒に行こう、と妻を誘った際、

 「嫌だ、気持ち悪い」

と言われて断られました。

今にして思えば、
あれが、
夫婦関係に亀裂が入って離婚に発展していく始まりだったかもしれません(笑)。
神様のように思って尊敬している人を「気持ち悪い」などと言われて、
ヘラヘラしていられるほど僕は人間が出来ていないので、
そんな無神経で失敬な妻を許せなかったのです。

 「いい年こいて、美輪明宏の良さもわからんのか?
  そんなモン、いまどき女子高生でも理解しとるぞ!
  30何年も生きて、お前の知力は10代以下か!
  情けない! 恥を知れっ!」

などと僕が口走ったため、喧嘩になりました。


でも、
こないだ息子たちから聞いたのですが、
今では、お母さんは毎週欠かさず『オーラの泉』を見ている、との事。
はて?
どうして気持ち悪いと思っている人の番組を毎週欠かさず見るのでしょう?
不っ思議だなぁ〜。

ん? 待てよ。
「気持ち悪い」ってのは、美輪さんの事じゃなくて、
僕と一緒に行く事を指していたのか?

・・・どっちにしろ、無神経で失敬な女だ(笑)。


あ、失礼しました。
え〜っと、何の話でしたっけ?
ああ、そうそう、愛と美の法則だ、愛と美の法則。

趣味も仕事も、
家族との繋がりも他人との関わり合いも、
人間の生活というものは、
美輪さんの唱える “愛と美の法則” にかなっていれば、
決して不幸の方角へは進んでいかないものだ、という事が言いたかったのです。

僕は幸せな人生を送りたいので、
“愛と美の法則” に則り、
ソフビ怪獣人形のコレクションを、演劇を、
これまで通り、楽しみながら続けていこうと思うのであります。




                 前回へ       目次へ       次回へ