真水稔生の『ソフビ大好き!』


第112回「素敵なオモチャ 〜ソフビ怪獣人形は魔女先生の魔法〜」  2013.5

僕がソフビ怪獣人形を好きないちばんの理由は、
なんといっても、
幼い頃それでよく夢中になって遊んだ、という懐かしさ。
人形を見た瞬間、
人形に触れた瞬間、
少年時代のいろんな風景・情景が甦り、
心は、温かくも切ない時間旅行に出かけていく。
そんな、“小さなタイムマシン” 的要素が、たまらなく愛しいのである。

けれど、それは、
造形の奥深さとか色遣いの妙とか、そういった他の理由と一緒で、
大人になった今だからこそ感じる魅力。
いい歳こいて怪獣のオモチャなんかを買い求めている事の “言い訳” でもあり(笑)、
本心ではあるが、体裁も多分に含んだ上での観点だ。

もっと純粋に考えてみたい。
幼い頃は、
造形や彩色などを深く考察なんかしないし、
もちろん “懐かしさ” なんか、リアルタイムなのだから感じるはずもない。
その幼い頃に、夢中になって遊ぶ事が出来た理由、
それこそが、
僕がソフビ怪獣人形というオモチャを好きな、本来の理由である。

それは、
動かない事。

ソフビ怪獣人形は、
ゼンマイじかけでも電動でもないので当然の事ながら動かない。
“動かない” オモチャ、なのである。
ただ、それは、
空想する事で自由に“動かせる” オモチャ、と言い換える事も出来る。

自由に動かせる・・・、
それが楽しかった。そこが好きだった。
だから毎日のように夢中になって遊んだのだ。

歩きながら胸の窓が開閉するロボットとか、電球を点滅させながらクルクル回転する円盤とか、
そんな、電池で動くオモチャも、
大好きなソフビ怪獣人形に紛れて僕のオモチャ箱には入っていたけど
(おねだりした記憶が無いので、
 おそらく、
 両親の知人・友人、あるいは親戚のおじさん・おばさんあたりが、
 僕が喜ぶと思って、
 我が家に来る際に手土産として買ってきてくれたンだと思う)、
その、
あらかじめプログラミングされた決まった動きをただ見ているだけ、というのが
どうにも退屈に感じられて、つまらなかった。

ロボットも円盤も、
最初に入れた電池が切れたら二度と動かす事はなく、
電池切れの動かない状態のままソフビ怪獣と無理矢理闘わせ、
1体の人形として遊んでいたほどで、
とにかく、
自分で考えたストーリーや演出で、
自由に人形を動かし、ごっこ遊びする事が好きだったのである。

動かないオモチャ・ソフビ怪獣人形は、
そんな僕の欲求にピッタリのアイテムであり、とびきり素敵なオモチャだった。


そもそも、
客観的に考えても、
空想する力で自由に動かすソフビ怪獣人形は、
積み木やレゴなどと同等、
あるいはそれ以上の評価に値する、
立派な知育玩具であり、
子供の成長に貢献する、素敵なオモチャだと思う。

激しさの中にも哀しみを秘めたワビ・サビのある夢の生き物・怪獣、
そんなイカしたテレビの人気キャラクターを
ユニークな色と形で立体化したのだから、
当然目を惹くし、
それを手にすれば、いろんな事を“感じる”。
思考力を、
主体的に身に着け、発展させる事が出来るのだ。
それでもって、
錆びない・壊れない材質で優しく安全、
と来れば、
子供の暮らしのそばに置くのに、これほど最適なオモチャはないだろう。

だが、
当時の大人たちの認識はそれとは違い、
ソフビ怪獣人形を、
美的感覚を麻痺させるもの、と否定したり、
単なる幼稚な玩具として、馬鹿にしたりするのが大半であった。
小学校に上がったと同時に、母親に勝手に処分された友達もいたくらいである。

僕の母親は、
そんなひどい事はしなかったけれど、
それでもやっぱり、
おねだりすると
なんとなく難色を示すようになり、
表情や態度で、
“もう小学生なのだから、そんな幼稚な物からは卒業するのが良い子” みたいなムードを押し付けてきた。

子供だったから
黙ってそれに従うしかなかったけど、
ソフビ怪獣人形が優れた知育玩具である事を
理屈でわからなくても感覚で認識していたわけだから、
なんで僕がソフビ怪獣人形で遊びたいか、をアピールして、
買ってもらえるようにもっと必死で説得すべきだった、と後悔している(笑)。

学校の勉強では、
ひとつの答えを見つけ出す、言ってみれば “集中的な思考” が求められるけれども、
そもそも人生というものは、
多種多様で、
いろんな発想によって価値が高まり充実度が増していく以上、
主体的にのびのびと夢や空想を楽しむ、“拡散的な思考” を養い伸ばす事も、重要だと思う。
だから、
ソフビ怪獣人形で遊ぶ事は、
幼児期よりも、むしろ小学校に上がってから以降こそ、必要な活動なのである。


・・・なんか、屁理屈みたいになってきたので(笑)、
具体的な例をあげて説明してみよう。

僕が小学校へ上がった時、と言えば、
やはり『仮面ライダー』の放送開始がいちばんに頭に浮かぶのだが、
その半年後、
同じ石森章太郎先生原作の『好き!すき!!魔女先生』という番組も始まった。

宇宙連合アンドロメダ星雲支部から
平和監視員として地球に派遣されたアルファ星の王女が、
東西学園5年D組の担任教師・月ひかる先生として、
生徒たちとの触れ合いを通じて様々な事件を解決していく物語で、
主人公のひかる先生(演じるは、菊容子さん)は、
指にはめたムーンライトリングのエネルギーにより魔法(超能力)が使える、というものである。

この作品、
単なる子供向けのファンタジーと思いきや、
しっかりとした教育理念の基に作られた良質なドラマであり、
今見直してみると、感服してしまう。
なぜなら、
主人公の月ひかる先生は、
子供には、絶対に直接魔法をかけないからである。
そこが凄いと思う。

たとえば、
第1話「決闘!すずめが丘」では、
番長と決闘する事になってしまった弱虫の男の子に対し、
ケンカに強くなる魔法をかける事はせず、
その男の子が大声を張り上げた際に、周りの木を魔法で揺らしたり倒したりしてみせ、
番長との決闘から逃げない勇気と自信を与えるし、

第5話「いじっぱりハモニカさん」では、
ハモニカがどうしても上手く吹けない女の子に対し、
トチらず吹ける魔法をかける事はせず、
その女の子を心配するあまり
自分に音楽の才能が皆無である事も忘れて指揮者を買って出た担任教師(演じるは、森本レオさん)に
魔法をかけて、
女の子が落ち着いてハモニカが吹けるような優しく美しいタクトを振らせるのだ。

つまり、ひかる先生は、
子供が自身の力で壁を乗り越えられるよう、手助けをするためだけに、魔法を使うのである。
実に素晴らしい!

これはまさに、
動かないオモチャ・ソフビ怪獣人形に通じるもの。
動かないからこそ、
それで遊ぶ子供自身の自由な発想が必要となるわけで、
ソフビ怪獣人形は、
子供が思考力や意欲を育めるよう、手助けをするオモチャなのだ。

子供が何も空想していないのにオモチャが動く、
つまり大人が持つノウハウでオモチャを動かす事は、
子供に直接魔法をかけるのと同じで、
たとえ子供を喜ばそうという思いでやった事でも、
結果として、
無限大であるはずの子供の自由な空想力を制限してしまう気がする。

電池で動くオモチャよりも動かないオモチャを選択した幼い日の僕は、
たぶん、本能で、
魔法をかけられる事を拒否したンだと思う。
好きに遊ばせてほしかったのだ。


ソフビ怪獣人形は、
ひかる先生の魔法を具象化したようなオモチャ。
間違いなく、素敵なオモチャである。

       
       
♪ソフビ怪獣 ピカピカひか〜る 素敵なオモチャ〜




       
       
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             映画やテレビで観た場面をいつでもどこでも再現出来るし、自由にアレンジが楽しめる。
             そして、
             どんな夢の共演も実現が可能。
       
       


・・・やっぱり、素敵なオモチャだ。


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