真水稔生の『ソフビ大好き!』


第94回 「How old are you?」  2011.11

年齢を内緒にする人が、僕は苦手だ。
自分が何歳であるかを秘密にして何が嬉しいのか、知られたらどんな不都合があるのか、
僕にはまったく理解出来ないし、
そんな事を隠されると、

 「私はあなたを人として信用していません」

って言われているようで、非常に気分が悪い。
年齢なんて、
聞かれたらそのまま普通に答えればいいじゃないか、
べつに誤魔化す必要など無いじゃないか、
って思う。
それが男性であっても女性であっても。

ただ、世間では、
女性に年齢を聞く事は失礼、とされているので、
女性の場合のみ、相手が言い出さない限り、年齢の事には触れないように気をつけてはいるが、
本音では、実は納得がいっていない。
気に入らないのだ。

別に聞かれてもいないのにわざわざ言う必要も無いが、
聞かれたのなら答えればいい。
ただそれだけの事。
なんでそんな事が失礼にあたるのか意味が解らないし、いちいち面倒くさい。

だいたい、女性は、
化粧などというものをして素顔を隠しているだけでも、言ってみれば相手を騙している事になるのに、
年齢まで相手に知られる事を嫌がるなんて、

 「貴様は何を企んでいるのか!?」

と問いただしたくなってしまう。
自分のプロフィールを偽りで固めて、どんな悪事を働こうとしているのか、と思えてしまうのだ。
それでいて、

 「誠実な男性が好き」

などと言われた日には、もう、アホらし過ぎて笑ってしまう。

若く見られようが、老けて見られようが、そんな事どーでもよいではないか。
自分の生年月日なんて、死んだって変えられないのだし、
人としての価値も、
女性としての魅力も、
年齢を誤魔化したところでは一切成立しない。
嘘の価値や魅力を身に備えても、何の誇りにもならないだろう。
それなのに隠したり偽ったり、実にクダラナいと思う。

・・・まぁ、でも、
所詮、女性と男性とでは資質が違うのだから、理解出来ない事があっても仕方がないかもしれない。
そんな事で女性に不機嫌になられたり、嫌われたりしても困る。
先述したように、
それがマナー違反という事になっているのなら尚更の事、目を瞑ろう。
やはり女性には良く思われたいし・・・(笑)。

ただ、
許せないのは男性である。
なぜ、隠すのか。 
なぜ、偽るのか。
非常に気持ち悪い。

この世に生を受けてこれまで生きてこられた事に感謝していないのか?
感謝しているのなら、
そのありがたい数を隠したり偽ったりして、親や神様に失礼だと思わないのか?

そもそも、
自分が何歳であるかも僕に知られたくないのなら、最初から僕と会話なんかしんとくれ、と言いたい。
不毛だし、不愉快である。

また、
隠したり偽ったりはしないが、素直にすぐ答えないヤツもいる。あれも鬱陶しい。
日常の会話の中で、

 「いくつなの?」

と、何気なく聞いた際に、
ちょっと間があった後、

 「いくつだと思います?」

と、逆に聞いてくる。
その都度、
僕はイラッとしてしまう。
クイズにして楽しむほど、お前の年齢に興味は無いのだ。
別にそんな事、
すぐ「○○歳だよ」と答えればいいではないか。

すれ違いざまに

 「お出かけですか?」

と声をかけた時、

 「私がどこに行くと思います?」

なんていちいち聞き返されたら、
邪魔くさくて近所の人に気軽に挨拶も出来ないだろう。
それと同じである。

お前が何歳かどうかなんて、
僕の人生に何の関係もないし、世の中で誰ひとり、そんな事に注目している人はいない。
まったくもってどーでもいい事なのだ。
なんでもない、ただの会話なのだから、普通に答えればいいのだ。
嬉しそうな顔してクイズになんかしてンじゃねェ、っつの。

だが、
そこでそんな事を言って怒るのも愚かなので、
僕は苛立ちをグッとこらえ、

 「う〜ん、そうだなぁ、30歳くらい?」

などと、
一応、その “世界で最もどーでもいいクイズ” に乗ってあげる。
すると、その男が言う。

 「そんなに若く見えますぅ? もうちょい、いってます」

・・・って、は? まだ続けるの?
面倒くさっ!
と吐き捨て、今すぐ立ち去りたいところだが、
乗りかかった舟なので、もう少し我慢を続けてみる。

 「じゃあ、35、6?」

 「そんなにいってるわけないじゃないですかぁ〜」

 「え? ・・・それじゃあ、33か4?」

 「どっち!?」

 「・・・33」

 「ファイナルアンサー?」

 「は?・・・あ、あぁ。ファイナルアンサー」

 「ブー! でも、惜しいっ! 32なんです」


・・・何なのだ?
それで僕にどーしろと言うのだ?
惜しい、とは何だ?
お前の年齢を当てたら、
どんな幸せが僕に訪れると言うのだ?

だいたい、32歳なら、
33歳か34歳かどっち!? なんて聞いてこなくてもいいじゃないか!

って言うか、
32歳なんだから、
最初に僕が答えた「30歳くらい?」が正解ではないか!
その時に、
「はい、32歳です」って言えばいいじゃないか!

何が「そんなに若く見えますぅ?」だ!
何が「もうちょい、いってます」だ!
何が「ファイナルアンサー?」だ!
アホか!

お前みたいな、どこにでもいるようなただの冴えないオッサンが
32歳だろうが、33歳だろうが、34歳だろうが、
そんな事どーでもいいのだ。
会話の自然な流れで何気なく聞いただけなのだから、
スッと答えればいい事。
内緒にしたり、誤魔化したり、つまらんクイズにしたり、
頭おかしいンじゃないか? と思う。

 お前の年齢なんて、どーでもいいンじゃ、ボケ!


・・・というわけで、今回は年齢の話。

僕は、
昭和39年生まれの47歳。

 「お前の年齢こそ、どーでもいいンじゃ、ボケ!」

という声が聞こえてきそうですが(笑)、
この
“昭和39年生まれの47歳” というのは、
怪獣世代・特撮ヒーロー世代と言われる年齢層の中でも、
最も充実した時間を生きてきた者たちではないか、と僕は常々幸せに思っている。

物心ついたのが、
第1次怪獣ブーム(昭和41〜42年)がちょうど去った頃なので、
それだけで考えると、
怪獣や特撮ヒーローには恵まれなかった世代のようだが、そんな事はまったくない。
現在と異なり、
当時は実に多くの子供番組が朝や夕方に繰り返し再放送されていたし、
ゴジラシリーズやガメラシリーズなどの特撮映画も頻繁に上映されていたので、
僕らはブームに関係なく、
怪獣や特撮ヒーローを味わい、楽しむ事が出来たのだ。

それに、
第2次怪獣ブーム・変身ブーム(昭和46年〜昭和49年)がやってきて、
日常すべてが怪獣や特撮ヒーローに染まるのを
リアルタイムで体験する事も出来た。

第2次怪獣ブーム・変身ブームは、
第1次怪獣ブームで根差した草木が一斉に花を咲かせたような感じで、
大いなる盛り上がりを見せた。
怪獣や特撮ヒーローは、
そんなブームの2段階攻撃によって、幼心を完全な虜にしたのだ。

だから、
再びブームが去って、小学校の高学年や中学生といった年頃になっても、
怪獣や特撮ヒーローの事が忘れられず、
ずっと気になっていたし、
そういったテレビ番組が新たに始まれば、自然とチェックしてしまう自分がいた。

怪獣や特撮ヒーローに恵まれなかったどころか、
赤ン坊の頃から思春期に至るまで、怪獣や特撮ヒーローがいつも隣にいた、
僕らは、そんな世代なのである。
怪獣や特撮ヒーローには、とても恵まれていたのだ。

なので、
子供の頃を振り返ると、必ず、

 あぁ、あの頃はあの番組がやっていたなぁ、

と、その頃放送されていた特撮関係のテレビ番組の事を思い出してしまう。

各番組の放送が開始された年と
その時の僕の年齢を合わせて、書き出してみよう。


昭和41年(1〜2歳)

・『ウルトラQ』
・『丸出だめ夫』
・『忍者ハットリくん』 
・『マグマ大使』
・『ウルトラマン』
・『悪魔くん』
・『快獣ブースカ』

昭和42年(2〜3歳)

・『仮面の忍者 赤影』
・『キャプテンウルトラ』
・『コメットさん』(九重祐三子版)
・『光速エスパー』
・『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』
・『ウルトラセブン』
・『怪獣王子』
・『ジャイアントロボ』

昭和43年(3〜4歳)

・『マイティジャック』
・『戦え!マイティジャック』
・『怪奇大作戦』
・『バンパイヤ』
・『河童の三平 妖怪大作戦』

昭和44年(4歳〜5歳)

・『魔人バンダー』
・『妖術武芸帳』

昭和45年(5歳〜6歳)

・『チビラくん』
・『ウルトラファイト』

昭和46年(6歳〜7歳・小学1年生)

・『宇宙猿人ゴリ』
・『帰ってきたウルトラマン』
・『仮面ライダー』
・『好き!すき!!魔女先生』
・『シルバー仮面』
・『ミラーマン』

昭和47年(7歳・小学1年生〜8歳・小学2年生)

・『快傑ライオン丸』
・『超人バロム・1』
・『ウルトラマンA』
・『変身忍者 嵐』
・『レッドマン』
・『トリプルファイター』
・『緊急指令10−4・10−10』
・『人造人間キカイダー』
・『サンダーマスク』
・『行け!ゴッドマン』
・『愛の戦士 レインボーマン』
・『突撃!ヒューマン!!』
・『アイアンキング』
・『ワイルド7』

昭和48年(8歳・小学2年生〜9歳・小学3年生)

・『ファイヤーマン』
・『ジャンボーグA』
・『仮面ライダーX3』
・『流星人間ゾーン』
・『白獅子仮面』
・『ロボット刑事』
・『走れ!ケー100』
・『ウルトラマンタロウ』
・『風雲ライオン丸』
・『へんしんポンポコ玉』
・『キカイダー01』
・『スーパーロボット レッドバロン』
・『鉄人タイガーセブン』
・『イナズマン』
・『ダイヤモンド・アイ』
・『クレクレタコラ』
・『行け!グリーンマン』

昭和49年(9歳・小学3年生〜10歳・小学4年生)

・『仮面ライダー]』
・『電撃!ストラダ5』
・『電人ザボーガー』
・『ウルトラマンレオ』
・『猿の軍団』
・『がんばれ!!ロボコン』
・『スーパーロボット マッハバロン』
・『仮面ライダーアマゾン』
・『行け!牛若小太郎』

昭和50年(10歳・小学4年生〜11歳・小学5年生)

・『冒険ロックバット』
・『正義のシンボル コンドールマン』
・『仮面ライダーストロンガー』
・『秘密戦隊ゴレンジャー』
・『少年探偵団』
・『アクマイザー3』

昭和51年(11歳・小学5年生〜12歳・小学6年生)

・『宇宙鉄人キョーダイン』
・『ザ・カゲスター』
・『忍者キャプター』
・『超神ビビューン』
・『ぐるぐるメダマン』
・『プロレスの星 アステカイザー』
・『円盤戦争バンキッド』
・『バトルホーク』
・『5年3組魔法組』

昭和52年(12歳・小学6年生〜13歳・中学1年生)

・『快傑ズバット』
・『大鉄人17』
・『ジャッカー電撃隊』
・『小さなスーパーマン ガンバロン』
・『ロボット110番』

昭和53年(13歳・中学1年生〜14歳・中学2年生)

・『透明ドリちゃん』
・『スターウルフ』
・『UFO大戦争 戦え!レッドタイガー』
・『スパイダーマン』
・『コメットさん』(大場久美子版)
・『恐竜戦隊コセイドン』
・『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』

昭和54年(14歳・中学2年生〜15歳・中学3年生)

・『バトルフィーバーJ』
・『メガロマン』
・『仮面ライダー』(スカイライダー)

昭和55年(15歳・中学3年生〜16歳・高校1年生)

・『電子戦隊デンジマン』
・『ウルトラマン80』
・『仮面ライダースーパー1』

昭和56年(16歳・高校1年生〜17歳・高校2年生)

・『太陽戦隊サンバルカン』


・・・と、
この辺りまでが、
本放送や再放送で僕が見ていた、
あるいは、リアルタイムでその存在が気になっていた、特撮関係のテレビ番組。

改めて、凄い量である。
僕はこういった特撮(実写)作品にしか興味が無かったけれども、
普通の子は、これにアニメ作品も加わるのだから、

 「どんだけ楽しい子供時代やねん!」

と、ツッコミを入れたくなるほどである。
まったく、
どれだけ胸躍らせ、どれだけ夢見た事だろう・・・。
本当に楽しかった。
本当に恵まれていたと思う。

しかも、
小学校に入学すると同時に、
『仮面ライダー』の放送が始まって
それが年々シリーズ化されていった、という年齢なので、
日本を代表するヒーローの歴史とともに自分の学年が上がっていった感もあり、
大袈裟ではあるが、
その事に何か運命的なものを感じてしまう。

『仮面ライダー』だけじゃない。
『帰ってきたウルトラマン』でウルトラシリーズが復活したのも
同じタイミングだったし、
第2次怪獣ブーム・変身ブームが巻き起こった事が
まるで自分の入学祝いのように感じられ、
神様から人生の特別待遇を受けているような気分にさえなる、実に嬉しい年齢なのだ。

たった1年、
先だったり後だったりしたら、
節目からズレている分、この幸せな思い込みの度合いはもっと弱かったであろう。
子供の頃の1歳違いは、
大人になってからのそれとは大きく異なるし・・・。

だから僕はよく冗談で、
特撮ファンの友達に対し、
僕より年上の人は “早すぎた世代”、
僕より年下の人は “遅れてきた世代”、
よって、
僕は “選ばれた世代”、なんて言って自慢している(笑)。

僕には、『ウルトラマン』の記憶で、
ウルトラマンとレッドキングが戦っている場面や
ハヤタが崖から転がり落ちるシーンなど、
断片的に白黒画像で残っているものがある。
我が家にまだカラーテレビが無かった時期を考えると、
おそらくそれは昭和41年の『ウルトラマン」本放送の時のものと考えられる。
当時、僕はまだ2歳。
つまり、
物心つく前から特撮ヒーロー番組を見ていたわけである。

しかも、
それが自分の人生の最も古い記憶なのだから、
否が応でも、
特撮ヒーローとか怪獣とかが、自分自身とは切っても切り離せないものになってしまう。

それでもって、
先述したように、
小学校入学を祝うかの如く、
仮面ライダーが登場したり、そのウルトラマンが帰ってきたりしたとなれば、
“昭和39年生まれ” を誇りに思い、
“選ばれた世代” などと言って自分の年齢を自慢したくなる僕の気持ちも、
特撮ファンの方なら解っていただけるだろう。

つまり、
怪獣世代・特撮ヒーロー世代の中で最も充実した時間を生きてきた、と感じて、
僕は選ばれた、なんて、
つい思い上がったような表現をしてしまうのは、
ただ怪獣や特撮ヒーローものの作品をたくさん楽しめた、というだけではなく、
ウルトラマンと仮面ライダーの両方を愛せる、という幸運を
生まれながらにして手にしていた優越感によるところも、大きいからなのである。

たとえば、
僕よりも少し上の世代だと、
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』は見てたけど
『帰ってきたウルトラマン』以降は見ていなかった、
っていう人が多い。
そういう人は、必然的に『仮面ライダー』にも興味が無い。
要するに、
第2次怪獣ブーム・変身ブームの頃は
怪獣や特撮ヒーローを楽しめる年齢ではなくなっていた、というわけだ。
気の毒でならない(笑)。
中には、
『ウルトラマン』を愛するあまり『仮面ライダー』を軽視する人もいる。
爆風スランプのパッパラー河合さんが、
ある雑誌のインタビューで、

 「ウルトラマンを崇拝するあまり、僕はアンチ仮面ライダー派で、
    ライダーの変身ポーズなんて子供の頃一度もした事がありませんでした」

と答えていた記事を読んだ事がある。
世代的に仕方がないとは言え、
そんな偏った見解を持ってしまう世代よりも、
子供の頃のアルバムの中に
スペシウム光線のポーズをしている写真と
ライダーの変身ポーズをしている写真の両方が貼ってある僕らの方が、
断然恵まれた世代であると、どうしても思えてしまう。


誰だって、
自分が少年時代にリアルタイムで見たヒーローに
いちばん熱い思い入れがあるに決まっているし、
それぞれ好みというものもある。
それを否定するつもりは、もちろんない。

ただ、
日本の特撮ヒーローの歴史を振り返った時、
客観的に見て、
やはり“ウルトラマン”と“仮面ライダー”は
どちらも欠かす事の出来ない二本柱。
パイオニアにして、代表的・圧倒的存在なトップ・オブ・ザ・ヒーロー。
この2大ヒーロー抜きでは、
後発のどのヒーローも存在しないし、語れない。
ヒーロー番組の代名詞とも言えるスーパー戦隊シリーズでさえ、である。
そんな、
日本が世界に誇れる2大ヒーローが、
誕生して発展して、そして伝説化していった様を、
選ばれた者しか座れぬ特別席で見届ける事が出来たような感覚は、
僕に生きる活力さえ与えてくれる。

リアルタイムな体験をもとに、
第2次怪獣ブーム・変身ブームの目撃者・生き証人として、
ウルトラマンと仮面ライダーの両方を、
どちらに偏る事無く熱く語れる自分の年齢に、
僕はやはり、
特別な幸せを感じずにはいられないのである。


では、
そんな幸せを噛み締めつつ、
この2大ヒーローの魅力について、改めて綴ってみよう。
今年は、
『ウルトラマン』生誕45周年、
『仮面ライダー』生誕40周年、という
両ヒーローにとって共に節目を迎えた年でもあり、ちょうど良い機会なので・・・。


まずは、ウルトラマン。

ウルトラマンの魅力、と言って
まず思い浮かぶのが、
やはり、身長が40メートルもある、という事。
巨大な生き物である怪獣と対等に戦うため必然的に生まれた設定とはいえ、
このアイデアは実に素晴らしい。
夢があるし、驚きがあるし、迫力があるし、独創性に長けている。

キングコングとかゴジラとか、
巨大な生物はすべからく悪役である、と認識されていた時代、
スーパーマンがヒーロー像の基本であり、
日本では月光仮面がヒーローの代表であった中、
そんな常識や概念をぶち壊して
巨大ヒーロー・ウルトラマンが登場した時の衝撃は、相当なものであった事だろう。

そして、
その世界初の巨大ヒーロー、という強烈なインパクトを
スピーディーかつスムーズに人々に浸透させたのが、あの、シンプルで美しいデザイン。
全体の色調として
銀と赤はブルーバック合成の際にヌケが良い、
という事情から
生まれたのだらしいが、
あのツートーンカラーのボディからは、
謎の宇宙人に温かい血が通っているイメージがストレートに伝わってきて、
何の説明がなくても
ウルトラマンというヒーローが理解出来てしまうくらいの説得力を感じる。
銀色である事で、
未知で壮大な宇宙のイメージと巨大な体を無理なく適合させ、
それでいて、
人間と同じ色の血が流れているような親近感・安心感を抱かせてくれる赤いライン、
実によく出来ている、と思う。

そして、必殺技のスペシウム光線、これがまたイカしている。
めちゃくちゃカッコいい。

なぜ、
そんなにカッコいいと思うのかというと、
左右対称のデザインをしたウルトラマンが、
左右 “非” 対称のポーズで、発射するからである。

西部劇などで
ガンマンが拳銃を撃つ(地面に水平にした左腕の上に銃を持った右手を乗せる)ポーズが
元ネタなのだそうだが、
体の正面から右に少しズラした辺りで十字を切る、という、
あの絶妙なバランス感が、
なんともシャレていてカッコいいのである。

また、
そのカッコいいポーズから放たれる銀白色の光線が、
オプチカル・プリンター(光学合成用の機材)の導入によって、
リアリティを持って映像化されたのも大きかっただろう。
ポーズがどんなに決まってても、
発射される光線が
アニメーションだったり単なる火花みたいなものだったりしたら、
あそこまでの迫力には至ってないだろうから。

ちなみに、
そのオプチカル・プリンターは、
当時世界にたった2台しかない高額な機械であったにもかかわらず、
夢のある映像を撮る事しか考えていない円谷英二さんが
アメリカのオクスベリイ社というところに
番組予算や円谷プロの財政状況を気にせず勝手に注文してしまったのを
TBSが当時の編成局長の英断で引き取ったものだそうで、
そんな裏エピソードまでもが、僕をシビれさせてくれるくらいのカッコよさなのだ(笑)。

そんな斬新でカッコいいヒーローが、
緻密なミニチュアワークやそれこそ光学合成などの
様々な特撮技術が駆使される中、
バラエティ豊かな怪獣たちと繰り広げるエンターテイメントに徹したバトル、
そして、その痛快な娯楽性を、
単なる子供番組には決して留めない、ヒューマニズム溢れるドラマのストーリー・・・etc.
『ウルトラマン』の
その惚れ惚れするようなクオリティの高さは、
当時のスタッフの方々が
いかに素晴らしい映像の送り手であったか、という証。

ウルトラマン、というヒーローは、
あの時代にたまたま偶然生まれたのではなく、生まれるべくして生まれた不滅のヒーロー。
円谷プロが事実上無くなってしまった現在でも
ウルトラマン自体は無くならない理由が、そこにある。


     
     ベムラー VS ウルトラマン

  記念すべき、『ウルトラマン』第1話のバトル。 
  ベムラーは、
  宇宙から来た怪獣、という設定ながら、
  その両腕は、地球上にいた恐竜・ティラノサウルスのように小さく細く、生々しい。
  そんな不思議な魅力の怪獣が第1話の敵なのだから、
  第2話以降、どんなユニークな怪獣が登場するのか、と大いに期待も膨らもう。
  そして、
  颯爽と現れた巨人が
  十字にクロスした手から謎の光線を発射して、その宇宙怪獣をやっつけた。
  巨人はいったい何者なのか?

  “スペシウム光線” という命名どころか、
  “ウルトラマン” という命名さえも、
  ドラマの展開上ではまだされていなかったこの時点で、
  日本中の子供たちは、もうすでに、スペシウム光線を発するウルトラマンの虜になっていた。


      ウルトラマンに変身するのは、
科学特捜隊(通称・科特隊)の
副隊長的存在であった、ハヤタ隊員

毅然たる態度が凛々しい人格者であるが、
感情表現や言葉の発し方、
その言動すべてに、
なんとなく人間離れしたような不自然さが付きまとうのは、
顔・姿は地球人でも、
ウルトラマンと一心同体ゆえ、精神が宇宙人であったから。
子供の頃はそんな事考えもしなかったけど、
俳優・黒部進さんの個性は、
ハヤタ隊員の役柄・設定に見事なまでにマッチしていたと思う。


続いて、仮面ライダー。

巨大でもなければ、光線を放つわけでもない、
敵へのとどめは、キックやパンチなど己の肉体をもって成す等身大ヒーロー、
そんな、
言ってみればウルトラマンとは対照的なキャラクターである仮面ライダーが、
ウルトラマンに勝るとも劣らない大人気ヒーローになりえた理由、
それは、子供心に感じたリアリティ。

ウルトラマンが護るのが未来の宇宙平和なら、
仮面ライダーが護るのは現代の世界平和。
つまり、
夢の世界のお話が、
スペクタクル(巨大)ではなく、日常生活のサイズ(等身大)で描かれた事によって、
『仮面ライダー』は、
フィクションを本当の事の様に楽しめる、当時の子供たちにとって最高の娯楽と化したのである。

『ウルトラマン』ほどの予算が組めない事情から
言わば苦肉の策で生み出された、
どこにでもある場所(空き地とか神社とか団地とか)で
人間大のキャラクター同士が戦う『仮面ライダー』の物語は、
結果として、
毎週、巨大な怪獣が現れてビルや家を破壊し、
それを巨大な宇宙人が超能力で倒す、という『ウルトラマン』の作品世界の盲点をつく事となり、
“実感できるカッコよさ” として、
全身がシビれるほどのショックを、僕らに与えてくれる事となった。

夜道を歩いていたり、
あるいは昼間でも、雑木林の側などを通りかかったりした時、
ショッカーの怪人や戦闘員が
今にも現れそうな気がして体が震えた事が、僕と同世代の人なら誰にでもあるだろう。
頭の中では、
あれはテレビの中の事(フィクション)だ、と解っていても、
心は常に、
そのファンタジーの世界を浮遊していた。
『仮面ライダー』の映像には、それほどのパワーがあったのだ。

『ウルトラマン』という巨大ヒーローの世界に慣れていた僕らは、
それであるがゆえに、
『仮面ライダー』という等身大ヒーローの世界に、猛烈な勢いで惹かれていったのである。

また、
キャラクターの観点から見ても、
『ウルトラマン』あっての『仮面ライダー』、という魅力のメカニズムは明らかであった。

宇宙から来た、とか、
突然変異で巨大化した、とか、
何億年前から生きていた、とか、
そんな荒唐無稽な生き物である怪獣よりも、
“改造手術” という科学の力によって
動植物の生態や能力を移植された人間である怪人の方が、
恐怖や迫力が身近に感じられたし、
仮面ライダー自身も
ショッカーによって改造人間にされた身(つまり怪人)であり、
激しい戦いや厳しい特訓によってその能力が強化されていく、という設定が、
大いなる説得力をもって子供心に迎え入れられ、
超能力を使う宇宙人・ウルトラマンが持ち得ない魅力を輝かせていた。

『ウルトラマン』とは対照的であるところに、『仮面ライダー』の価値があったのである。

おそらく、
僕と同世代の人なら思い出せば納得していただけると思うが、
ウルトラマンごっこをしている時と
仮面ライダーごっこをしている時では、
ときめきの高さやムード・雰囲気の盛り上がり具合が、明らかに違っていた。
仮面ライダーごっこの方が、断然、熱かったのだ。

自分たちは巨大じゃないから街や家を壊すなんて出来ないし、
口から火も吐けなきゃ、腕から光線だって出せない。空だって飛べない。
もちろん、
子供の頃の想像力をもってすれば、そんな事は容易にクリア出来たが、
昨日テレビで
怪人や戦闘員と仮面ライダーが戦っていた場所と似たような景色の中に立ち、
仮面ライダーと同じように、
キックしたりパンチしたり、ちょっと高い所から飛び降りてみたり、
あるいは
仮面ライダーの愛用バイク・サイクロンに見たてた自転車に乗って疾走してみたり、
そんなふうに、
実感しながら虚構の世界に酔える仮面ライダーごっこの醍醐味には、
ウルトラマンごっこの楽しさを上回るパワーがあったのである。

そしてそれは、
僕が大好きだったソフビ人形を戦わせる遊びにおいても、同じ事が言えた。
透明な火を吐く怪獣人形を
ウルトラマン人形が透明なスペシウム光線で倒す、という再現よりも、
怪人人形のどてっぱらに
ライダー人形が実際にライダーキックを炸裂させる、という再現の方が、
興奮の度合いが大きかったのだ。

超能力でなく、己の “肉体” で戦う仮面ライダーは、
そうやって、
ウルトラマンの戦いとはまた違う、ウルトラマンの戦い以上にスリリングな夢を、
僕ら当時の子供たちに見させてくれたのである。

ウルトラマンのいちばんの魅力が巨大である事なら、
仮面ライダーのいちばんの魅力はその逆・人間大である事、であった。


       
     アリガバリ VS 仮面ライダー

  アマゾンの秘境から、大幹部・ゾル大佐によって
  ショッカー日本支部に呼び寄せられたオオアリクイの怪人・アリガバリ。
  ライダーキックが通じないこの強敵怪人に
  ライダーは一敗地に塗れる。

  ライダーは無敵のヒーロー、と信じて憧れていた五郎少年は、
  その無残なライダーの姿を目撃してしまったショックで寝込んでしまう。
  そしてライダー自身も、
  戦いに敗れた事と
  五郎少年の心を傷つけてしまった事に自信を失い、心が挫けかける。

  だが、
  おやっさんに叱責され、
  たった一人の子供の願いも叶えられずに人類の平和が護れるか、と奮起したライダーは、
  相棒・滝和也の協力のもと、
  特訓の末、新しい必殺技・ライダー卍キックをあみ出し、
  再度戦いを挑んで見事アリガバリを倒す。
  そして、
  五郎少年が入院している病室の窓に現れ、

  「私は勝った。アリガバリを倒した。
       五郎くんも早く病気を治すんだ」

  と励まし、
  優しく手を振って去っていく。

  『ウルトラマン』では味わえない、
  人間大ヒーローならではの、
  まさに『仮面ライダー』の魅力がギュッと詰まった、名エピソード。
  忘れられない。


      仮面ライダー1号に変身するのは、
科学者・本郷猛
そして、
仮面ライダー2号に変身するのは、
カメランマン・一文字隼人

変身した後は、
姿はもちろんの事、
声もハヤタではなくなってしまうウルトラマンとは異なり、
仮面ライダーは、変身後も、
当然の事ながら本郷猛や一文字隼人の声のまま。
また、
本郷猛を演じた藤岡弘さんが
自らライダーのコスチュームを着て
ライダーを演じていた事もあるし、
大ブームを巻き起こしたライダーカードには、
一文字隼人を演じた佐々木剛さんが、
このソフビのように、
マスクを外したライダー姿で写っていたものもあり、
僕ら当時の子供たちとしては、
着ぐるみ俳優による “お芝居” ではなくて、
本当に本郷猛や一文字隼人が変身して
仮面ライダーになるンだ、という嬉しい錯覚が味わえた。
これもまた、先述した、
フィクションを本当の事のように楽しめた、
というリアリティのひとつである。


・・・と、ここまでは
巨大ヒーロー・ウルトラマンと
等身大ヒーロー・仮面ライダーの違いについて述べたのだが、
両者には、実は共通点もある。
それは、
顔が無表情である、という事。

美術家・成田亨さんが
宇宙時代のコスモス(秩序と調和のある世界)の典型像として、
アルカイック・スマイルのイメージでシンプルにデザインしたウルトラマンの顔も、
漫画家・石森章太郎さんが、
“文明社会に警鐘を鳴らす大自然の使者” という事で
昆虫(トノサマバッタ)をモチーフにして、あえてグロテスクにデザインした仮面ライダーの顔も、 
撮影用の造形物では、
当然の事ながら、
人間がすっぽり頭から被る、表情が変化しないマスクになったのだが、
これが実は、
両者を人気ヒーローにした大きな要因のひとつでもあるのだ。

無表情であるがゆえに、
その顔にはいろんな感情が宿っていた。
戦いの最中は、
その無表情が、激しい怒りの表情にも見えたし、
深い哀しみに耐えている苦しい表情にも見えた。
また、人間たちと接している時には、
穏やかで優しい表情をしているように思えた。
日本古来の “能” と同じしくみによる、日本人独特の感情移入である。

肉眼で捉えたものではなく、心で感じ取ったものなので、
怒りや哀しみも、喜びや優しさも、
ウルトラマンや仮面ライダーのそれは、無限の強さで、テレビの前の僕らの胸に響いたのである。

         



僕が47歳という年齢になった今でも、
ソフビ怪獣人形を集めて愛でたり、
こうやってウルトラマンや仮面ライダーの事を考えたりするのは、
子供の頃の心情を忘れたくないから。
幼い頃の
あの心の躍動を、いつでも再現できる精神状態にいれば、
辛い事が山のようにある人生でも、楽しくおもしろがって生きていけるし、
両親や神様、延いては自分自身の命に感謝する気持ちを
ちゃんと失わずにいられる事に、気づいたからである。

ウルトラマンや仮面ライダーに夢中だった子供の頃に思いを馳せていれば、
どんな状況においても自分を見失う事は無い。
怪獣や特撮ヒーローが日常に満ち溢れ、
楽しく幸せだった少年時代に感謝する気持ちが、
常に心を、
優しくたくましく維持させてくれるのだ。

だから、
「いい歳して幼稚だ」とか
「昔を振り返ってばかりで性格が後ろ向きだ」とか言われて馬鹿にされても、
そんな事は屁とも思わないし、
それこそ、
自分の年齢を隠したり偽ったりしよう、なんて発想も生まれない。

 「いくつなの?」

と聞かれたら、
迷う事なく誰にでも即答したい。
いや、
聞かれなくても、
僕は胸を張って言いたいのだ。

 「昭和39年に生まれて、
    ウルトラマンに憧れ、仮面ライダーに夢見た、
         怪獣や特撮ヒーローが大好きな47歳です」 と。


 


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