真水稔生の『ソフビ大好き!』

第33回 「実写ドラマ大好き!」  2006.10


1. アニメが嫌い

不粋な僕は、
子供の頃からアニメがどうにも苦手だった。
特に見たいとも思わなかったし、見ても何も感じなかった。

アニメも実写(特撮)も、“テレビまんが”という名称で一括りにされていた時代だったが、
僕の中では、
その両者にははっきりと線引きがされていた。
アニメよりも実写(特撮)の方が格が上のものだ、と決めつけていたので、
アニメは、いつも冷めた目で馬鹿にして見ていた。

  “アニメなんて女子供の見るモンだ”

なんて、子供のくせに思ってた(笑)。

だから、
『鉄腕アトム』 も 『鉄人28号』 も 『宇宙少年ソラン』 も 『ワンダー3』 も
『オバケのQ太郎』 も 『ハリスの旋風』 も 『ロボタン』 も 『ドカチン』 も
『ちびっこ怪獣ヤダモン』 も 『ジャングル大帝』 も 『おそ松くん』 も
『魔法使いサリー』 も 『悟空の大冒険』 も 『黄金バット』 も
『かみなり坊やピッカリピー』 も 『マッハ・ゴー・ゴー・ゴー』 も 『パーマン』 も
『おらあグズラだど』 も 『ゲゲゲの鬼太郎』 も 『巨人の星』 も 『サイボーグ009』 も
『あかねちゃん』 も 『怪物くん』 も 『花のピュンピュン丸』 も 『ドンキッコ』 も
『サスケ』 も 『夕やけ番長』 も 『妖怪人間ベム』 も 『ひみつのアッコちゃん』 も
『紅三四郎』 も 『もーれつア太郎』 も 『忍風カムイ外伝』 も 『どろろ』 も 『男一匹ガキ大将』 も
『タイガーマスク』 も 『のらくろ』 も 『ハクション大魔王』 も 『サザエさん』 も
『ムーミン』 も 『アタックNo.1』 も 『海底少年マリン』 も 『ウメ星デンカ』 も
『あしたのジョー』 も 『昆虫物語 みなしごハッチ』 も 『キックの鬼』 も 『いなかっぺ大将』 も
『魔法のマコちゃん』 も 『カバトット』 も 『新オバケのQ太郎』 も 『天才バカボン』 も
『ふしぎなメルモ』 も 『さるとびエッちゃん』 も 『国松さまのお通りだい』 も
『ルパン三世』 も 『樫の木モック』 も 『正義を愛する者 月光仮面』 も 『海のトリトン』 も
『ハゼドン』 も 『赤胴鈴之助』 も 『おんぶおばけ』 も 『科学忍者隊ガッチャマン』 も
『デビルマン』 も 『かいけつタマゴン』 も 『ど根性ガエル』 も 『マジンガーZ』 も
『となりのたまげ太くん』 も 『バビル2世』 も 『けろっこデメタン』 も
『ジャングル黒べえ』 も 『ドラえもん』 も 『荒野の少年イサム』 も 『ミクロイドS』 も
『新造人間キャシャーン』 も 『ドロロンえん魔くん』 も 『エースをねらえ!』 も
『冒険コロボックル』 も 『侍ジャイアンツ』 も 『キューティーハニー』 も 『魔女っ子メグちゃん』 も
『ゲッターロボ!』 も 『てんとう虫の歌』 も 『元祖天才バカボン』 も 『ドカベン』 も
『タイムボカン』 も 『ヤッターマン』 も 『一発貫太くん』 も 『おれは鉄平』 も 『野球狂の詩』 も、
みんなみんな、
なんとなく見ていた記憶はあるけど、内容はほとんど憶えていない。

・・・って言うか、こんなにたくさん見てたのか(笑)。

こんなにたくさん見てたのだから、
大好きな特撮ヒーローものなどの実写ドラマを見る時と同じようなときめく気分で
アニメ作品も見ることが出来たら、どれほど楽しい事だったろう。

「アニメが嫌い」なんて、
視野が狭くて感性が未熟である事を宣言しているようなものだから、
本当はあまり言いたくないのだが、
いかんせん、まるで魅力を感じないのである。

オモチャも、
アニメキャラクターものはほとんど持っていなかった。
でも、何の間違いか、
『おそ松くん』のチビ太の空気ビニール人形が、
ソフビ怪獣人形でいっぱいのダンボール箱(僕のオモチャ箱)に入れられていた。
僕は、
チビ太をゴジラやウルトラマンと一緒にするのが嫌で、
いつもそのチビ太の空気ビニール人形だけ外へ出しておくのだけれど、
気がつくとオモチャ箱に戻され、ソフビ怪獣人形と一緒になっていた。
で、また外に出しておく。
で、気づくとまた戻されている。
何度も繰り返しているうちに、母親から

 「片付けが出来ないならオモチャは全部捨てる!」

などと叱られた。
片付けていないのはチビ太の空気ビニール人形だけなのに、
きちんと片付けてあるソフビ怪獣人形までも捨てると言うのだ。

なんて理不尽な。

誰が買ってきたのか知らないけど、
チビ太の空気ビニール人形など買ってほしいとおねだりした憶えもないし、
どうやって遊んでいいのかもわからないし、
実に迷惑な話だった(笑)。


とにかくアニメを軽視していた。
『ヤン坊マー坊の天気予報』も、
アニメというただそれだけの理由でなんだか信用出来ず、
ほかの天気予報と比べて当たる確率が低いような気がしていたくらいである。

アニメの番組は、
本来なら実写で作るところを
不真面目なテレビ局の人がふざけてマンガにして作ってしまった番組だ、と思っていたのだ。

親が見ている『特別機動捜査隊』や『遠山の金さん捕物帳』も実写だし、
自分が見ている『ウルトラマン』や『仮面ライダー』も実写なのだから、
僕にとってテレビドラマは実写作品である事が当たり前であり、
アニメなど、存在する意味さえわからぬ、無駄で不要なものでしかなかった。


実写ドラマは、
そのドラマの中の世界が、読んで字のごとく際にし出されているゆえ、
架空の世界、つまりおとぎ話を、現実のように錯覚しながら楽しめる。
そこが魅力だ。
これは、アニメ作品では端から不可能な話である。
アニメ作品では、
絵で描かれている以上、おとぎ話はどこまで行ってもおとぎ話にしかすぎない。
どんなアニメ作品も、
僕にとってはただの“嘘の世界”でしかなかった。
夢見る事が出来なかった。
おとぎ話をおとぎ話として楽しむ器量が、情けない事に、僕には子供の頃から無いのである。

だが、そんな好みとは裏腹に、
僕の年齢とともにアニメのテレビ番組はどんどん増えていき、
中学生になる頃には、児童文化の主導権は完全にテレビアニメに握られてしまった。
子供番組と言えばアニメが当たり前、になってしまったのである。
あの円谷プロですら、
特撮でなくアニメを選択した。
昭和54年に放送された『ザ☆ウルトラマン』である。

信じられなかった。
そして、悔しかった。
僕は円谷プロに苦情の手紙を何通も出した。
  
 「特撮の円谷プロが何故アニメをやるのか! 恥ずかしくないのか!」

 「あれはウルトラマンに対する冒とくだ! ファンを裏切って平気なのか!」

 「円谷英二が草葉の陰で泣いてるぞ! ふざけるな! 真面目にやれ!」

などとレポート用紙に熱く書き綴った。
今考えれば、無礼な内容の手紙だったが、僕は抗議せずにはいられなかった。
子供番組を夢中で見るような年齢ではすでになくなっていたものの、
当時の僕にとっては、
円谷プロがウルトラマンをアニメにして放送している事は、
呼吸困難になるほど苦しい、実に不快な、納得のいかない事だったのだ。
大好きで通っていた美味しいラーメン屋さんが
突然店のメニューをカップラーメンに変えたようなものだ。
本当にその店のラーメンを愛している者なら、誰だって「どういうつもりか!?」と店主に問いただすだろう。
そんな気持ちだった。

中学3年生だったので友達は高校受験に向けて必死で勉強していたが、
僕はアニメでウルトラマンをつくる円谷プロに対する不満や怒りで、勉強どころではなかった(言い訳か?)。
円谷プロから一切返事は来なかったが、
翌年には『ウルトラマン80』という特撮実写作品のウルトラマンが見事復活したので、ホッとした。嬉しかった。
だが、
おかげで僕は高校受験に失敗してしまった。円谷プロのせいだ(言いがかりか?)。

思えば、あの頃からアニメに対して歪んだ感情を持つようになった気がする。
大好きな特撮ヒーロー番組が衰退した分、
アニメに対する僕の気持ちは、侮蔑から敵意に変わってしまったのである。

現在でも、レンタルビデオ屋さんで、
怪獣映画や特撮ヒーロー番組のビデオが『アンパンマン』なんかと一緒に
アニメコーナーに陳列されてたりするのを見かけると
とっても不愉快な気分になるし、
誤った先入観以外の何物でもないので非常に失礼な話なのだが、
出会った人がアニメファンだとわかった瞬間、
その人になんとなく気味悪い印象を懐いてしまうきらいが僕にはある(・・・ゴメンなさい)。
第三者から見たら目くそ鼻くそな話だろうが(笑)。

また、
普通の人は、
別に “実写(特撮)かアニメか” なんて事にこだわらないから、
僕が怪獣やヒーローが好きだと知ると当然アニメも好きなのだろうと解釈し、
アニメの話を嬉しそうにしてくる事があるが、
あれも苦痛だ。

そういうものが好きだと思ってその話題を出してくれた相手からしてみれば、
急に話に乗ってこなくなりその場の空気を壊す僕に、困惑したり不信感を懐いたりしてしまうだろう。
でも、どうしようもないのだ。
興味や知識がまるで無い以上、話を合わせる事は出来ない。
かといって、
いちいちそこで、実写(特撮)とアニメの違いや自分の趣味・嗜好について熱く語り出すのも面倒だし、
面倒なのを我慢してやってみたところで気持ち悪がられて終わるだけだし・・・。
・・・厄介な事である。



2. 実写ドラマの醍醐味

まさに“テレビっ子”と言われた世代の僕は、子供番組に限らずテレビが大好きだった。
お話の内容も理解出来ないくせに、親と一緒にドラマもよく見ていた。
ドラマの中のお話と現実の区別すらちゃんとついていない頃だったので、
『男はつらいよ』で寅さんが毒蛇に噛まれて死んだ時などは、
本当に渥美清さんが死んじゃったのだと思い、とてもショックだった。
テレビの前で大泣きする僕を見て、父親は笑っていたが、
母親は

 「本当は死んでないから大丈夫だよ」

と言って僕を慰めた。
『男はつらいよ』が後に映画化された時に、その言葉が嘘じゃなかった事を僕は知った(笑)。

“渥美清”という役者が“寅さん”という役を演じている、という事が理解出来たのは、いつ頃の事だったろう。
幼く純真な心に味わった、“寅さんが死ぬ”という衝撃が、
実写ドラマの醍醐味として意識の中に強烈に植え付けられ、僕の感受性が作られていったのだと思う。

まだ3、4歳の頃だったと思うが、お正月か何かで親戚一同が集まった席で、

「松山英太郎が好き」

と発言して、大人たちに驚かれた記憶もある。
好きなテレビ番組は、子供向けアニメ番組ではなく、
松山英太郎さん主演の『丹下左膳』だったのだ。
あの時点で、もうすでに実写ドラマの魅力にとりつかれ、役者というものにも興味を持っていたのだと思う。

傍から見たら、ちょっと変わった子供だったのかもしれない。

『ウルトラQ』や『ウルトラセブン』の、怪獣が出てこない回も、まったく不満に思わなかった。
むしろ、大人の世界を味わったような気分でワクワクしたものだ。
極端な話、“実写”でありさえすれば、もうそれだけで満足だった。
だから逆に、絵だけを見せられるアニメのテレビ番組が、退屈でならなかったのである。
絵で描かれたものではなく、実際に写し出されたものでなければ感情移入出来なかった。
テレビドラマの中のその世界を現実だと思いたかったのだ。
そうする事がテレビドラマを見る時の究極の楽しみ方だ、と
物心付くか付かないかの頃から心の奥底に刻み込まれていたからである。
それには最低条件として、テレビドラマは実写作品でなければならない。
“怪獣やヒーローが出てくる、出てこない”よりも、
“実写であるかどうか”、
これが、僕が胸をときめかす第一条件だった。



3. 心に残る“子供向け実写ドラマ”

  そして、いわゆる怪獣ものではないけれども、子供向けに作られた実写ドラマが
冒頭に挙げたアニメ作品ほどではないが僕の子供の頃にはたくさんあり、大好きでよく見てた。
たとえば、
『チャコねぇちゃん』 や 『チャコとケンちゃん』、
『すし屋のケンちゃん』 や 『おもちゃ屋ケンちゃん』 などの
いわゆる“チャコちゃんシリーズ・ケンちゃんシリーズ”を筆頭に、
『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』、 『丸出だめ夫』、 『コメットさん』、
『マイティジャック』、 『怪奇大作戦』、 『妖術武芸帳』、 『サインはV』、
『柔道一直線』、 『ガッツジュン』、 『さぼてんとマシュマロ』、 『金メダルへのターン』、
『刑事くん』、 『1・2・3と4・5・ロク』、 『アテンションプリーズ』、 『美しきチャレンジャー』、
『ハレンチ学園』、 『だから大好き!』、 『小さな恋のものがたり』、 『がんばれ!兄ちゃん』、
『ワイルド7』、 『おらぁガン太だ!』、 『マドモアゼル通り』、 『へんしん!ポンポコ玉』、
『敬礼!さわやかさん』、 『どっこい大作』、 『5年3組魔法組』、 『少年探偵団』、
『がんばれ!レッドビッキーズ』、 『刑事犬カール』、 『俺はあばれはっちゃく』 など、
感動したエピソードや印象的なシーンが頭と心に貼りついて離れないものが数多くある。

中でも特に印象的だったのが、『走れ!ケー100』 と 『緊急指令10−4・10−10』。

まず、『走れ!ケー100』だが、
これは、昭和48年の4月から翌年3月までTBS系で放送されたテレビドラマで、
主人公・伊賀山紋太が、スクラップ寸前状態だった小型機関車のK-100を水陸両用車に改造し、
それに乗って日本縦断の旅をする、という物語。
こんな、冒険のようなひとり旅をいつかしてみたいなぁ、なんて思いながらときめく気持ちで見ていた。

主人公・伊賀山紋太を演じたのは、大野しげひささん。
大野しげひささん、と言えば、
『びっくり日本新記録』の司会やシャチハタのCM、
あるいは、
『がんばれ!!ロボコン』のパパさん役で知られるが(名古屋人には『マゴベエ探偵団』でもお馴染み)、
この『走れ!ケー100』で演じた伊賀山紋太という明るく人情に厚い役柄は、
おそらく子供番組である事を意識したからであろう大野しげひささんのわかりやすい演技も相俟って、
僕の幼心に好印象を強く深く残している。
今でも、“いい人” っていうと大野しげひささんの顔が真っ先に浮かんでしまう程だ。

また、K−100は、
嬉しい時は汽笛を鳴らしたり、怒った時は蒸気煙を出したり、
運転手がいなくても自分自身の意思で走ったりする事もある、“心”を持った小型機関車であり、
大野しげひささん演じるいい人・紋太の相棒にふさわしい、
実に泣かせるキャラクターであった。

こういう生命の無い物に魂を見る考えや感情は、日本人は特に強い。
人形供養、針供養、最近ではパソコン供養などが各地で行われるのも、
そんな気持ちから生まれた文化であろう。
そういった文化が
幼い頃から当たり前のように親の躾や暮らしの中にあったし、
ましてや、
幼稚園の頃『ジャイアントロボ』の最終回を見て、
地球を守るために、命令を無視して自分の意思でギロチン帝王を道連れに爆死するロボの姿に
大感動の涙を流した僕にとって、
人間と機関車が心を通わせて喜怒哀楽を共にしながら旅する『走れ!ケー100』は、
いきなり第1話から強烈に感情移入出来てしまう、大好きな類の物語だったわけである。

或る時、母親が新聞の記事を読んで、

 「あんたの好きなあの汽車の番組、人気があるで最終回が延期になったみたいだよ」

と教えてくれたのを憶えている。
最近知ったのだけど、
鹿児島から北海道まで旅をしてその物語は終わる予定だったが、
当時、沖縄の子供たちから「沖縄にもK−100に来て欲しい」との要望が番組に多く寄せられたため、
北海道から今度は沖縄に向かって旅する物語が急遽追加され、放送が延長された、との事。
やっぱみんな大好きだったンだよね、『走れ!ケー100』が。うんうん、納得。


タカトク製ソフビ。コロ走行。
或るフリーマーケットで見つけて
初めてこのオモチャの存在を知り、
感激のあまり狂喜乱舞して購入した。
・・・ってのはちょっと大袈裟だけど(笑)、
K−100のソフビがあったなんて
本当に感激だった。
当時知ってたら、買ってもらう事を
必死で親にねだっただろうなぁ。
         ★
操縦席のシールに描かれた紋太の絵が、
雑なタッチではありながら
大野しげひささんによく似ているところが素敵。
この味わい深いソフビを手にすれば、
僕の心はいつでも冒険旅行に出かけられる。



次に、『緊急指令10−4・10−10』。
これは円谷プロの作品で、
毛利チーム(電波特捜隊)のメンバーが、
一般市民(アマチュア無線の愛好家)から通報や情報提供などの協力を受け、
無線を駆使した固いチームワークと科学力で、様々な怪事件を解決していく物語。

怪獣や宇宙人が出てくる回もあるが、
片想いによる嫉妬から、その女性の恋人を細菌を使って殺害してしまう男の話や、
継母に虐待され家出してきた少年のために、本当の母親を探す話など、
地味で日常的な物語も多く、リアリティがあり、
実写ドラマ好きな僕には堪えられない面白さの番組だった。

変身ブームの真っ只中、“変身ヒーロー不在の特撮ドラマ” という異質な存在ではあったが、
気高いテーマ性を持つ多種多様なストーリーを
子供向けドラマとしてわかりやすくスピーディーに展開させる巧さは、
『怪奇大作戦』の低年齢層向け版、といった趣で、
円谷プロの面目躍如と言える、実に優れた作品であったと思う。

放送は『走れ!ケー100』の前年の昭和47年。
当時、僕は小学2年生。転校してクラスメイトが変わった年だった。
『走れ!ケー100』のような人気番組と違って
『緊急指令10−4・10−10』はマイナーな番組だったので、
クラスの中で見ていたのは僕一人だけだった。
転校早々、新しい友達に「面白いで、絶対見やぁ」と勧めていた事を憶えている。


 電波特捜隊員のソフビ人形。
 メーカーは、
 プラレールやミニカーで有名なトミー。
 これも、
 こんなソフビがあったンだぁ、
 と感激しながら購入した一品。
          ★
 『緊急指令10−4・10−10』は、
 前述した通り、『怪奇大作戦』のイメージを
 継承する感のある番組ではあったが、
 主人公である電波特捜隊の面々は、
 渋くて深い味わいが魅力の
 SRIメンバーとは異なり、
 ウルトラシリーズの隊員っぽいコスチュームに身を包み、
 変身ヒーローなみの派手なアクションもこなす、
 スマートな躍動感が魅力の明るいお兄さんたちだった。
 このカッコいいソフビ人形をジッと見つめれば、
 そんな憧れのお兄さんたちの勇姿が
 僕の心に熱くよみがえる。



アニメの良さがわからないから、楽しみはほかの子の半分だったかもしれないが、
その分、実写ドラマを人一倍強く深く愛し、多くの感動や影響を心に受けて僕は少年時代を過ごした。
ソフビ怪獣人形というオモチャに夢中になったのも、
『ウルトラマン』や『仮面ライダー』が実写ドラマだったからだ。
現実かもしれないと錯覚して楽しめる世界だったからこそ、夢見る事が出来、
人形でいろんな場面を再現したり、自分でストーリーを考えたりして、
心豊かにクリエイティブな遊びを楽しめたのだ。

今、このK−100や電波特捜隊員のソフビを見つめながら、僕はしみじみ思う。
莫大な数の魅力的なキャラクターやいつまでも心に残る素敵なテレビドラマがあるこの日本で、
平和で自由な環境の中、夢見て育った幸せを。



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